1511年
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1511年(せんごひゃくじゅういちねん)は、1500年代の11年目のことであり、日本の元号では永正8年である。室町幕府の征夷大将軍は第10代(再任)の足利義尹(後の足利義稙)、朝廷の天皇は後柏原天皇である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 吉田兼俱が死去(77歳)。
- 4月 - 肥後国八代の相良長毎が宇土の名和武顕を久々川で破る。
- 7月 - 細川澄元が阿波国で挙兵する。
- 8月 - 細川高国と大内義興が足利義尹を奉じて京都を放棄して丹波国に撤退。代わって細川澄元の配下である細川政賢が入洛する。前将軍(第11代将軍)の足利義澄が近江国岡山で死去(32歳)。細川澄元・細川政賢・三好之長らの軍勢と足利義尹・細川高国・大内義興らの軍勢が船岡山で激突し、細川澄元らが敗れて政賢は戦死。京都は足利義尹らが奪回する(船岡山の戦い)。薩摩国の島津忠治が識鷹秘訣集を編纂する。