天文 (元号)

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天文とは、日本で16世紀にあった年号である。

概要[編集]

西暦1532年から1555年まで、日本で使われた年号。ちょうど戦国時代の中期にあたる。全国で下克上が盛んにおこなわれ、三好氏細川氏を、陶氏大内氏を乗っ取り、その陶氏も毛利氏に厳島で大敗して乗っ取られる形となった。

なお、天文学と元号は関係が無いと思われるが、コペルニクス地動説を発表したのは天文年間である。

全国の情勢[編集]

東北地方は、伊達稙宗が最大勢力であったが、嫡男である伊達晴宗との間で天文の乱が起き、この過程で伊達家は弱体化、群雄割拠に突入した。

東日本は、武田信虎晴信今川義元北条氏綱氏康の三勢力が、それぞれ甲斐から信濃へ、駿河・遠江から三河へ、伊豆・相模から武蔵・上野・下総へ勢力を伸ばした。この三勢力が甲相駿同盟を組む。武田晴信は越後の長尾景虎と衝突、川中島の戦いが始まる。

近畿地方は、細川晴元の支配下にあったが、三好長慶が事実上乗っ取ることに成功した。細川晴元とともに将軍足利義輝も京を追われ、朽木にて再起を図ることとなった。

中国地方は、西・南が大内義隆、東・北が尼子経久晴久という構図であった。大内義隆は家臣の陶晴賢に打ち取られ、その陶晴賢は大内からの独立を果たした毛利元就厳島の戦いで敗れた。大内・陶は弘治年間に滅亡する。

九州は群雄割拠であったが、北半分は大友義鑑義鎮の勢力下であった。なお、大内家の傀儡当主であった大内義長は大友義鎮の弟である。

海外の政権[編集]

脚注[編集]