1584年
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1584年(せんごひゃくはちじゅうよねん)は、1500年代の84年目のことであり、日本の元号では天正12年である。室町幕府は滅亡しているが足利義昭が名目上はなおも征夷大将軍の地位にあった。朝廷は正親町天皇である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 紀伊国で雑賀・根来一揆が起こる。
- 3月 - 織田信雄が徳川家康と同盟を結んで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と断交する。沖田畷の戦いで龍造寺隆信が島津家久軍に敗れて敗死する(56歳)。
- 4月 - 小牧・長久手の戦いが開始。徳川家康が羽柴秀吉の先鋒である森長可を羽黒で破る。さらに三河国に中入りを始めた羽柴軍を破り、池田恒興(49歳)、池田元助(27歳)、森長可(27歳)らを敗死に追い込む。羽柴秀吉が近江国長浜の町人に鍬200挺を坂本から尾張国針床に向けて輸送させる。
- 5月 - 羽柴秀吉が比叡山延暦寺根本中堂の再建を許可する。
- 6月 - ポルトガル船が平戸に来航する。松浦鎮信がフィリピンとの修好を求める。
- 7月 - 近畿地方で旱魃となる。
- 8月 - 筒井順慶が死去(36歳)。養子の筒井定次が跡を継ぐ。
- 9月 - 筒井定次が馬借一揆の首領を処罰する。
- 11月 - 羽柴秀吉が織田信雄と単独で講和し、徳川家康は秀吉と対峙する大義名分を失って三河国に撤退し、小牧•長久手の戦いは終焉。
- 12月 - 徳川家康が次男の於義伊(後の結城秀康)を羽柴秀吉に養子(人質)として差し出す。
- 月不明 - 狩野秀頼の高雄観楓図が完成する。