岡崎市

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岡崎市
Okazaki Castle.JPG
岡崎城跡の再建天守
日本国旗.png日本
地方中部地方
所属愛知県
人口約37万 人

岡崎市(おかざきし)は、愛知県にある西三河地方の中心都市である。愛知県のほぼ中央部に位置する。

概要[編集]

西三河の中心都市である岡崎現在の岡崎市を見ればおわかりになるが、三河高原と西三河平野の接触部に立地して市の主要市街地には市域をほぼ南北に貫流する矢作川左岸の段丘面に存在する。
市の東部一帯には住宅地に適する丘陵地が連なっているため、住宅都市としての環境条件に恵まれている。

松平氏こと徳川氏ゆかりの地で、西三河の覇者となった松平清康(家康の祖父)の本拠地かつ徳川家康の生誕地であったことから家康や松平累代にちなむ史跡や文化財が多く、松平氏の菩提所である大樹寺をはじめとして滝山寺滝山東照宮と重要文化財が非常に多く存在する。

昨今はYoutuber集団、東海オンエアによる岡崎市内の店紹介で、全国から聖地巡礼の如く来訪している。

Wikipediaの記事「岡崎市」はUser:Evelyn-roseの写真アルバム化しているとして某所で話題となっている。

産業[編集]

江戸時代以降は商業都市として発展したため、城下町時代は連尺町がその中心を成す商店街であった。だが、明治時代になるとその南に連なっていた康生町が中心を成すようになった。岡崎市の玄関口である名鉄東岡崎駅前にも商店街が増加しており、副都心的な商店街を形成している。

工業では江戸時代からの伝統的な繊維工業が発展している。江戸時代には三河木綿の産地として有名であった。また同時期に石材の産地としても有名になり、石灯篭などの特産品でも知られた。

隣接自治体[編集]

豊川市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、新城市、額田郡幸田町と接する。

岡崎市に隣接する市町村
豊田市
安城市 岡崎市 新城市
豊川市
西尾市 幸田町 蒲郡市

歴史[編集]

当市は古くから交通・軍事上の重要拠点であった。縄文時代初期には矢作川乙川沿いに集落が営まれていたという。『延喜式』によると平安時代の当時には矢作川の渡船集落があったと記録されている。鎌倉時代には「矢作の東宿」と呼ばれて宿場町が形成されていた。 このように水陸の重要拠点を成していた岡崎に岡崎城を築いたのは室町時代中期の武将である西郷稠頼である。西郷は康正元年(1455年)に岡崎城を築城した。その後、戦国時代に入り、徳川家康の祖父である松平清康大永4年(1524年)に岡崎城主になると、城地の拡大と整備が行なわれて城下町が創設された。だが、清康が守山崩れ家臣暗殺されると松平氏は一時的に没落を余儀なくされた。なお、清康の死から7年後に徳川家康はこの城において生を受けている。

徳川家康が今川義元織田信長武田信玄らと渡り合い、その中で岡崎城も発展を遂げてゆく。豊臣秀吉の時代である天正18年(1590年)に小田原征伐が勃発すると家康は戦後に関東に加増移封され、岡崎には近江国八幡城から豊臣秀吉の家臣・田中吉政が5万石で入封した。田中は岡崎城の堀を拡大し、城下町を整備して東海道を城下の北に通すなど、近世的な城下町作りに取り組んだ。秀吉の死後、関ヶ原の戦いが起こると田中は家康率いる東軍に属し、その戦功から筑後国柳川藩に加増移封され、以後岡崎には家康配下の譜代大名が入封することになる。江戸時代には東海道五十三次の宿駅として駿府城と並ぶほど繁栄を遂げる城下町として栄えた。また前述のとおり水陸の要衝のため、矢作川の水運を利用する水陸貨物の中継河港町としても繁栄し、記録によると幕末安政5年(1858年)の段階で岡崎城下の人口はおよそ1万を数え、戸数は3000戸、宿所は128軒、商家は624軒、職人の家が362軒、茶屋が17軒、寺院が41寺院を数えるほどの大城下であったという。

明治時代に入り、額田県の県庁が置かれたが1882年に廃県となった。
明治22年(1889年)に町制が施行されて岡崎町が成立する。大正5年(1916年)に全国で67番目に市制を施行して岡崎市が成立した。その後は近隣との再編が続き、昭和3年(1928年9月額田郡岡崎村美合村男川村常盤村の一部を編入する。昭和30年(1955年2月に額田郡常磐村岩津町福岡町本宿村山中村藤川村竜谷村河合村の2町6村を編入する。さらに同年の4月碧海郡矢作町を編入した。昭和35年(1960年1月、旧矢作町の一部(河野町、宇頭茶屋町、尾崎町、柿碕町、橋目町の一部)を安城市へ編入、分割した。昭和37年(1962年10月に碧海郡六ツ美町を編入する。

高度経済成長期には豊田市刈谷市安城市などが自動車産業で躍進する中で西三河地方の中心都市としての存在感が薄れている。

平成15年(2003年4月には中核市に移行(県下3番目、全国31番目)。平成18年(2006年1月額田町を編入した。

交通[編集]

鉄道[編集]

明治21年(1888年)に東海道鉄道が開通した。ところが当時、規模の大きな岡崎宿場町では、鉄道に対する理解が乏しい上に誤解が大きく、反対派の勢いもあったため、海岸部の蒲郡から名古屋方面への短絡地点でもあった、岡崎市街地から4キロも外れた南端の羽根地区に岡崎駅が置かれることになった[注 1]。約10年後の1898年に岡崎駅と市街地を結ぶ馬車鉄道、次いで1911年西尾への軽便鉄道が敷設されたものの、宿場町の規模が小さく結果的に市街地近くに駅が設置されて、街の勢いが増し、さらに1997年から1900年にかけての豊川鉄道の開業で、商圏が拡大した豊橋と比べ、岡崎の市街地は要衝としての機能を失って急速に衰退。近代都市としての発展に大きく遅れをとることになった。

大正時代に入り、名古屋市熱田豊橋を結ぶ愛知電気鉄道豊橋線(名鉄名古屋本線)が開通。東岡崎駅が当時日本一高速とも言われた特急「あさひ号」の停車駅となると、岡崎は交通上の要衝としての地位を何とか取り戻した。
また前述の馬車鉄道から発展した岡崎電気軌道(1927年三河鉄道に合併)は、1923年三河岩脇経由で門立(もだち)、1929年に三河岩脇分岐で上挙母まで延伸し、北方向との交通も改善された。

南北方向は1962年名鉄岡崎市内線が廃止され、大樹寺駅発着で半孤立線状態になった名鉄挙母線も乗降実績が低迷して1973年に廃止された。昭和50年(1975年)に新豊田駅岡崎駅を結ぶ国鉄岡多線が旅客営業を開始したが、列車本数が少ない上に国鉄名古屋局は市中心部に近い中岡崎駅を名鉄対抗の特定運賃対応駅に位置付けせず冷遇していた。豊田市瀬戸市方面からの交通の利便性が増したのは、国鉄分民化後の1988年愛知環状鉄道になってからである。

道路[編集]

国道1号線、東名高速道路新東名高速道路国道248号国道473号が通じている。

岡崎市の見どころ[編集]

岡崎市の特産品[編集]

岡崎市の年中行事[編集]

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  1. 一方、羽根地区は山岳の鞍部の深溝(現・三ヶ根駅付近)から北上し、大府駅まで距離ロスの無いギリギリの位置であって、忌避運動の影響ではないという説もある。

外部リンク[編集]


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