安城市
安城市(あんじょうし)とは、愛知県にある市である。西三河地方に含まれる。
地理[編集]
岡崎平野(西三河平野)の中央部に位置し、碧海台地上にある市である。この地形のせいで、近くに矢作川が流れるにもかかわらず近世には水不足に悩まされていたが、近代には明治用水の通水によって農業先進地に変貌した。市域全体が低地もしくは台地であり、最高標高地点でも30m程度である。
JR東海道本線・東海道新幹線・名鉄名古屋本線・名鉄西尾線が通っている。東海道本線には三河安城駅・安城駅があり、東海新幹線には三河安城駅がある。名鉄名古屋本線には新安城駅・宇頭駅があり、名鉄西尾線には新安城駅・北安城駅・南安城駅・碧海古井駅・堀内公園駅・桜井駅・南桜井駅がある。
歴史[編集]
戦国時代には徳川氏の前身である松平氏の居城、並びに属城である安祥城が置かれていた。この城が森山崩れで松平清康が横死し、それにより織田信秀に奪取され、さらに清康の嫡子である松平広忠の子・竹千代が信秀に身柄を奪われる事態となる。後に今川義元の庇護を受けた広忠は安祥城を今川軍と共に攻め、ここを守備していた織田信広を捕虜にすると、竹千代と信広の人質交換が行なわれている。
江戸時代になると安城の土地は岡崎藩・刈谷藩・西尾藩あるいは旗本の所領などで分割されて支配される。
江戸末期に都築弥厚が明治用水の前身となる用水を構想して奔走したが、実現を見ずに亡くなり、都築の後継者の尽力によって明治13年(1881年)に明治用水が開通。明治時代初期に、用水開通により碧海台地上の原野が次々と水田となり、これが安城発展の基礎となる。さらに明治24年(1891年)に東海道本線安城駅が置かれ、それにより駅周辺に集落が形成された。明治39年(1906年)5月に町制が施行されて安城町となる。
大正3年(1914年)には碧海郡役所が知立町より移転し、知立に代わって安城が碧海郡の中心となる。大正時代から昭和時代前期にかけてこの市は「日本デンマーク」と称されたが、これは米作に養鶏や養畜を加えた碧海農業の中心地として郡農会、農事試験場、蚕業取締所、農林学校などが置かれたためである。
昭和27年(1952年)5月に市制が施行されて安城市となる。昭和30年(1955年)4月、碧海郡明治村・依佐美村のそれぞれ一部を編入する。昭和35年(1960年)1月、岡崎市の河野・宇頭茶屋・尾崎・柿崎町と橋目町の一部を編入する。昭和42年(1967年)4月、碧海郡桜井町を合併した。
この市では明治時代末期から製糸工場が設置され繊維産業が盛んになり、昭和時代中期まではこの繊維産業が安城市の中心産業のひとつとなる。しかしそれ以降は機械・輸送機器・電気機器製造業などが伸張していくことになる。これは国道1号という交通に恵まれ、この国道沿いに工作機械、金属、輸送機器、食品、ミシンなどの諸工場が発展していったためである。
経済[編集]
- 商業
商業は中心市街、北部、桜井の3つの商店街が存在する。工場と住宅団地の進出で販売額が増加している。
- 農業
また、「日本デンマーク」と称されただけはあり、兼業農家の増加、農家の近代化や合理化も行なわれ、米作が農業生産の第1位を占めるようになる。また大消費地である名古屋市は安城市から近く、そのため養鶏・養豚・果樹栽培・青野菜などが盛んに行なわれている。
- 商業施設
- 企業
特産品[編集]
見どころ[編集]
安城市には国の史跡指定の二子古墳、姫川古墳や安祥城跡、本證寺、学甫堂などの旧跡があり、永安寺の「雲竜の松」は愛知県の天然記念物である三河万歳は国指定・「棒の手」は愛知県の無形文化財に指定されている。