縄文時代
縄文時代とは、旧石器時代より後で、弥生時代の前の日本の時代区分の一つである。
概要[編集]
アメリカ人動物学者のエドワード. S. モースが大森貝塚から発掘した土器に、縄目のような文様があったことから「縄文土器」と呼ばれた。その時代を縄文時代と呼ぶ。現在、その跡地はJR大森駅の東側にあたる場所にあり、公園となっている。 多様な装飾性をもつ縄文土器を使用していた時代である。水田稲作はまだ行なわれておらず、狩猟採集を中心とした時代であったが、畑作は行われていた。大森貝塚、三内丸山遺跡などが縄文時代の遺跡として有名である。ただし、栗、エゴマ、ダイズは当時から栽培されていたことが縄文土器の圧痕から判明している。三内丸山遺跡で発見されたクリは縄文人が苗から育てていたことが知られている。 当時の日本の人口は、西日本より東日本の方が多かった。
時代区分[編集]
草創期、早期、前期、中期、後期、晩期に時代区分される。一つの時代区分であるが、様々な変遷があった。
期間[編集]
縄文時代の始まりは、紀元前13000年から12000年頃(いまから15000年前頃)と考えられている。それ以前との違いは、土器の使用、定住生活の開始といった点である。定住は竪穴住居である。縄文時代の終末は、日本で水田稲作が始まった時期である。水田稲作の開始時期は、紀元前1000年頃から紀元前300年頃まで様々な説があったが、国立民族学博物館による放射性炭素年代分析により紀元前1000年頃と確定し、教科書にも書かれる。
期間は12000年にも及び、平安時代の30倍、江戸時代の50倍に相当する非常に長い時代である。縄文時代が終わってから3000年近く経つが、その4倍もの期間、縄文時代が続いた。
縄文時代の日本国外[編集]
ちょうど、中国の黄河文明、パキスタンのインダス文明、イラクのメソポタミア文明、エジプトのエジプト文明、いわゆる世界四大文明の時代と重なる。
縄文式土器のなかには、シュメール文明において使われていた回転印章に類似した技法が用いられたことが確認されている。