西尾市
西尾市(にしおし)は、愛知県にある市。西三河地方の南部に位置する。人口は約17万人。旧幡豆郡の中心都市である。
人口[編集]
旧西尾市の人口は約11万人だったが、2011年に幡豆郡の3町(一色町、吉良町、幡豆町)を編入合併して市域と人口を拡大させた。合併によって人口は169,352人となって刈谷市(151,429人)を上回り、西三河地方では豊田市(425,738人)、岡崎市(385,221人)、安城市(186,468人)に次ぐ人口を有し(いずれも2018年4月1日時点)、東隣の蒲郡市(約8万人)の倍の人口である。ただし、世帯数では西尾市(61,422)より、刈谷市(64,167)の方が多く、人口密度では西尾市は、刈谷市の約3分の1となっている。
地理[編集]
矢作川の下流左岸に位置し、市域の東北東から東側にかけては山地である。市域の南側は三河湾が拡がり、平成大合併で、市域に佐久島、前島(うさぎ島)、沖島(猿が島)といった離島も抱えることになった。
歴史[編集]
この市域は元は西条と言われた。戦国時代の永禄7年(1564年)に西尾と改名し、江戸時代前期の井伊直好の時にほぼ城下町の形態が整備された。
江戸時代中期の明和元年(1764年)に出羽山形藩から松平乗佑が西尾に入部し、以後は松平氏6万石の支配下の下で明治維新を迎えた。この時代に西尾は城下町として大いに栄え、その町並みは岡崎藩や三河吉田藩と並んで「三河の小京都」と呼ばれる。旧吉良町周辺は忠臣蔵で著名な旗本吉良氏の領地だった。
現在の西尾市(旧吉良町・旧一色町などを含む)、碧南市などの地域に当たる三河湾岸では、かつて遠浅の海岸を利用した製塩業が盛んで、特に吉良産の塩は饗庭塩と呼ばれ、その当時は足助街道などを通って信濃の塩尻宿(現長野県塩尻市)付近まで塩が運ばれた。西尾市塩田体験館は、愛知県西尾市吉良町にある。
明治時代に入ると、西三河南部の商業の中心となる。太平洋戦争を経て周辺町村と合併すると、平坂の鋳物、中畑のガラ紡などの工業地域を合わせたことと、三河木綿の産地として新渡場・米津付近に綿織物が発達したことから、工業都市としての進展を見せるようになる。また自動車産業の大工場の進出も相次ぎ、急速に工業化への方向をたどるようになった。
市町村の編入[編集]
明治22年(1889年)に町制を施行して西尾町が誕生する。明治39年(1906年)に幡豆郡久麻久村と大宝村・西野町村の一部を編入する。昭和27年(1952年)に幡豆郡福地村の一部を編入する。昭和28年(1953年)に西尾町と平坂町の一部を合併して市制を施行し、西尾市が誕生する。昭和29年(1954年)に幡豆郡平坂町、寺津町、福地村、室場村を編入する。昭和30年(1955年)に幡豆郡三和村、碧海郡明治村のうち米津と南中根を編入した。
平成23年(2011年)4月1日、幡豆郡一色町、吉良町、幡豆町を編入した。
産業[編集]
旧西尾市域では西尾城や西尾茶などが知られている。旧一色町域ではうなぎ養殖や佐久島が、旧吉良町域では吉良義央や尾崎士郎の人生劇場が、旧幡豆町域では愛知こどもの国や三ヶ根山などが知られている。
市街地には三河地方唯一のポルノ映画館の鶴城映劇が健在であるが、一般映画を上映する館は映画低迷期に次々廃業。一方でシネマコンプレックス等は建てられなかった。
教育[編集]
- 高等学校
- 離島の佐久島は交通事情から特例で県下一円の普通科に進学することが可能である。旧幡豆町域には高校はない。また市域に私立高校が無く[注 1]、特に男子生徒が進学できる高校が21世紀まで近辺になく、かつては尾張地域の私立高を志願する受験生も少なくなかった。
- 愛知県立西尾高等学校 - 三河地域の難関進学校の1つであり、蒲郡市からの受験生流入も見られる。愛知県知事の大村秀章は愛知県立西尾高等学校から東京大学に進学して官僚となった。
- 愛知県立鶴城丘高等学校 - 旧制西尾実業学校からの伝統校だが、総合学科高校への転換に際し、現校名に改め、進学向け系列も設けられた。
- 愛知県立西尾東高等学校
- 愛知県立一色高等学校
- 愛知県立吉良高等学校 - かつて、保育科があったが、保育士国家試験の資格変更に伴い、生活文化科に吸収。
- 高等専修学校
- 西尾高等家政専門学校 - 学校法人白百合学園が運営。1条校でないため、愛知産業大学三河高等学校の通信制を併修して高卒資格を得る。
農業[編集]
西尾は肥沃な土壌に恵まれ、米、野菜、花卉、果樹栽培が盛んに行なわれている。西尾市街の西側の稲荷山一帯の洪積台地では明治5年(1872年)に京都の宇治から導入された茶が栽培され、特に主力の抹茶の生産は日本全国総生産のおよそ50パーセントを占めている。
交通[編集]
主要な鉄道路線は名鉄西尾線であり、安城市から南進して西尾市域を縦断している。名鉄がスイーツ女子を狙って西尾観光を積極的にPRしており、名鉄名古屋駅に直通する急行も走っている。
吉良吉田駅で西尾線に接続する名鉄蒲郡線は存続の危機にあり、「乗って残そう」という過疎路線にありがちなキャンペーンが行われている。西尾線西尾駅以南と蒲郡線を会わせた過疎区間は西蒲線と通称される。
かつては碧南市や刈谷市に至る名鉄三河線も走っていたが、2004年に廃止された。これにより、旧幡豆郡3町の中で一色町のみは鉄道路線が存在しない。
名所・旧跡[編集]
西尾市の見どころとしては、西尾城跡や国の重要文化財として指定されている久麻久神社本殿、実相寺、養寿寺、長円寺といった社寺、旧跡が多くある。郷土芸能も多く存在し、御殿万才、てんこ祭、鎌田の棒の手などが伝承されている。
年中行事[編集]
- 桜まつり(4月上旬)
- 春の西尾バラ展(5月中旬)
- 西尾まつり(7月中旬 - 下旬)
- 貝吹の鍵万燈(8月14日)
- 米津の川まつり(8月15日)
- 中畑のおまんと祭(10月の第3日曜日)
- 天狗祭(10月の第3日曜日)
- 御ひつ割り(10月の第3日曜日)
- 綿租祭(10月の第4日曜日)
特産品[編集]
- 抹茶
- 洋ラン
- 綿フス織物
出身著名人[編集]
- 近世以前の人物
- 政財界
- 岩瀬弥助(実業家、岩瀬文庫創設者、元西尾町長)
- 神谷伝兵衛(実業家)
- 小笠原三九郎(実業家、元商工大臣・農林大臣・通商産業大臣・大蔵大臣、西尾市名誉市民)
- 中島董一郎(キユーピー創業者)
- 三治重信(元参議院議員、西尾市名誉市民)
- 稲垣実男(元衆議院議員)
- 中村健(西尾市長)
- 杉浦喜之助(元西尾市長)
- 本田忠彦(元西尾市長)
- 中村晃毅(元西尾市長)
- 榊原康正(元西尾市長)
- 杉浦広一(スギ薬局及びスギホールディングス創業者)
- 学界・教育界
- 外山滋比古(英文学者)
- 小山勝二(天文学者)
- 雲英末雄(国文学者)
- 大河内了義(ドイツ文学者)
- 道場親信(社会学者)
- 牧原出(政治学者)
- 加古宜士(会計学者)
- 榊原悟(美術史家)
- 関信三(教育者、僧侶)
- 芸能
- 小山茉美(女優・声優)
- 南翔太(俳優)
- 斉藤麻衣(女優)
- 沢朋宏(CBCアナウンサー)
- 神取恭子(元メ~テレアナウンサー)
- 塚本一平(元福井放送アナウンサー)
- しあつ野郎(お笑い芸人)
- 犬童美乃梨(グラビアアイドル)
- 岩井俊雄(メディアアーティスト)
- 葵かを里(演歌歌手)
- 東山彩(演歌歌手)
- Viki(シンガーソングライター)
- 牧野真莉愛(歌手、モーニング娘。)
- 柳瀬悠希(歌手)
- 鈴木俊哉(リコーダー奏者)
- スポーツ選手
- 杉浦清(元プロ野球選手、監督)
- 杉浦享(元プロ野球選手、外野手)
- 岩瀬仁紀(元プロ野球選手、投手)
- 石堂克利(元プロ野球選手、投手)
- 牧全(バスケットボール選手)
- 広瀬誠(柔道家)
- 若二瀬唯之(力士)
- 岩瀬裕亮(競艇選手)
- 金折知則(元騎手、JRA調教助手)
- その他
- 尾崎士郎(小説家)
- 宗田理(小説家)
- 加古宗也(俳人)
- 岡安辰雄(演劇評論家)
- 山本眞輔(彫刻家、西尾市名誉市民)
- 斎藤吾朗(画家)
- 名倉弘雄(日本画家)
- 中村剛(イラストレーター)
- 山田幸司(建築家)
- 浅井甚兵衛(宗教家、妙信講創立者)
- 高須克弥(美容外科医)
- 高須幹弥(美容外科医)
- 深谷篤(プロ野球審判員)
注[編集]
- ↑ 1980年代半ばに、西尾白百合学園が全日制女子高を新設する計画があったがボツになった。
外部リンク[編集]