津島市
津島市(つしまし)は、愛知県の尾張地方にある市である。海部地域に属する場所。人口は約6万人。海部津島広域行政圏の中心で、国や県の施設も立地する。あいち海部農協と海部東農協の本部も置かれている。
歴史[編集]
津島は古くから開けた土地であった。そのため戦国時代には津島神社の門前町、湊町として栄え、織田信秀・信長父子が支配下に置くと、この地域は織田氏が戦国大名化する過程でその経済力が大いに後ろ盾になった。
江戸時代になると東海道の熱田・桑名間の七里の渡しより危険の少ない脇街道、佐屋路の宿駅となる。佐屋路は熱田・岩塚・万場・神守・佐屋に通じ、佐屋川を舟で桑名に出てお伊勢参りをする人々によく利用されたため、往来客で賑わった。なお江戸時代前期は津島から天王川を舟で下ったが、寛文7年(1667年)から街道としての渡舟場は佐屋(愛西市佐屋町佐屋)に移ったので、佐屋川を下るようになった。
近世にはから佐織縞・白木綿などが盛んに作られていたが、明治期には片岡春吉の影響もあり綿織物から毛織物に転換した。現在では、津島市の工業生産額のおよそ20パーセント余り[1]を毛織物が占めている。他に特産品としてあかだくつわ、団扇が有名である。
江戸時代後期にはその繁栄が目覚しく、「尾西第一の大邑にして、縦横の町並五十余街、商家農工軒をならべ、万物一として足らざることなく、しかのみならず、美濃路、伊勢路への舟行、日毎に絶ゆる事なければ、諸国の旅客ここにつどいて繁昌大方ならず、げに一都会ともいうべし」と『尾張名所図会』に記録されているほどである。
明治に入ると1898年、弥富〜津島間に尾西鉄道が開通し、1900年に現在の県立津島高校の前身の愛知県立第三中学校が開校しており、津島の街のポテンシャルの高さを示している。一方で、江戸末期まで津島の水運を支えた佐屋川は1899年に廃川となり水運は廃れた。
大正期の1913年、所属郡がそれまでの海東郡から海部郡となったが、郡制廃止まで海部郡役所が津島町に置かれた。
昭和22年(1947年)3月に市制が施行されて津島市が誕生する。昭和30年(1955年)に神守村を編入し、翌年に永和村の一部を編入した。
一方、平成の大合併に際して市域の拡大は行われておらず、三方を愛西市に囲まれた格好になっている。
地理[編集]
当市の見所としては、尾張津島天王まつりで知られる津島神社をはじめ、市の歴史を物語る古刹・社寺も多く、桜の美しい天王川公園などもある。特に尾張津島天王まつりは夏祭りの際に訪れる観光客が多い。
名古屋市に向かって名鉄津島線が走っており、弥富市や一宮市に向かって名鉄尾西線が走っている。両者は津島駅で接続している。
JR関西本線は永和駅が市域の南東に接近しているが、ギリギリ市域をかすめていない。
見どころ[編集]
特産品[編集]
年中行事[編集]
人口・面積[編集]
- 人口は6万4041人。
- 面積は25.08平方キロメートル。
教育[編集]
- 高校
- 愛知県立津島高等学校 - 旧制県立三中以来の伝統高。
- 愛知県立津島北高等学校 - 旧名、津島商工高校。2025年(令和7年)入学者より弥富市の県立海翔高校と統合し、県立津島北翔高校となる予定。
- 愛知県立津島東高等学校 - 市街東寄りの神守地区にある普通科高校。
出身有名人[編集]
- 平野長泰(武将、賤ヶ岳の七本槍の1人)
- 那須政隆(仏教学者)
- 武藤長蔵(経済学者、歴史家)
- 片岡春吉(実業家)
- 野口米次郎(詩人、芸術家イサム・ノグチの父)
- 大鹿卓(小説家、詩人)
- 金子光晴(詩人)
- 杉浦兼松 (医学博士)
- 山中龍夫(宇宙科学研究者)
- 水谷麻里(元歌手)
- 平田香織(歌手・ローカルタレント・ファッションモデル)
- 八木亮祐(プロ野球選手、オリックス・バファローズ投手)
- 前田裕子/HIRO(歌手、ketchup mania)
- 安穂野香(歌手、通称「セーラー服おじさん」)
- 鶴美舞夕 (元宝塚歌劇団星組男役)
- 平沢隆好(元南海ホークスプロ野球選手)
- 木谷雅 (ミュージシャン、sacraヴォーカル・サイドギター)
- 小杉研太 (プロレスラー)
- 神野大地(陸上競技選手)