駿府城

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駿府城(すんぷじょう)とは、現在の静岡県静岡市葵区駿府公園に存在した日本である。現在の静岡駅から北へ700メートルにあった城とされ、静岡市立静岡病院と税務署一帯がその跡と考えられている。

概要[編集]

江戸時代以前

駿河国守護大名戦国大名であった今川氏駿府館(すんぷやかた)が前身とされている。今川氏は永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い今川義元織田信長の前に敗死すると急速に衰退し、8年後の駿河侵攻で今川氏は滅亡し、武田信玄の支配を経て徳川家康に支配される。天正13年(1585年)、家康は松平家忠に駿府城の修築を命じ、天正14年(1586年12月浜松城から駿府城に居城を移した。天正18年(1590年)の小田原征伐後北条氏が滅亡すると、豊臣秀吉の命令で家康は関東移封された。家康移封後は、秀吉配下の中村一氏が駿府に入るが、関ヶ原の戦い時に東軍に転じ、戦後に中村家は伯耆国に加増転封された。

江戸時代

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで家康は覇権を掌握し、3年後に征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開くが、慶長10年(1605年)に家康は3男の徳川秀忠に将軍職を譲って大御所になると、自らは隠居地を駿府と定めて駿府城を居城とした。家康はこの際、畿内美濃国など10ヶ国の外様大名に500石に付き3人の割合で人夫を徴発するという天下普請を行ない、大修築を行なっている。駿府城の天守閣は7重の壮麗なものであり、本丸御殿だけでも総建坪が300坪に上る大規模な城であった。以後、家康が死去するまでの11年間、駿府城は天下人の城として号令を発令し続け、その間の名目の城主は、手許に置いた十男で秀忠の異母弟である徳川頼宣だった。

家康が死去すると、引き続き頼宣が城主となり、浅野氏転封で、頼宣が紀州に移封されると、秀忠の息子で駿河大納言と称された徳川忠長が城主となる。しかし忠長が乱行を繰り返したことを理由に改易蟄居となり、後に自害を命じられると、駿府城は城主が置かれることは無くなり、幕府の天領として大身旗本が歴代の城代を務めるようになった。

明治以降

明治維新により江戸幕府が崩壊すると、最後の将軍である徳川慶喜に代わって徳川氏当主となった徳川家達が70万石の藩主として入るが、明治4年(1871年)の廃藩置県駿府藩は廃止され、この際に駿府城は破却された。

現在は本丸と2の丸が駿府公園として開かれ、市民の憩いの場となっている。旧本丸には家康の銅像、家康手植えの蜜柑(静岡県の天然記念物)、旧2の丸に東御門、巽櫓が復元されている。静岡県庁、合同庁舎が建つ一帯が旧3の丸とされ、城内の石垣には天下普請を物語る家紋・旗印・記号などで示した諸大名家の刻印が残されている。

アクセス[編集]

  • JR静岡駅から徒歩15分。
  • 駿府浪漫バス約7分「東御門」下車。

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