豊川市
豊川市(とよかわし)は、愛知県東部にある市。東三河地方に含まれる。人口は約18万人。
地理[編集]
市域の南側は豊川の河岸に広がる平地であり、市域の北側は本宮山などがある山地である。市域の南西部は三河湾に面している。
歴史[編集]
古代・中世のこの地域には、三河国の国府・国分寺・国分尼寺が置かれ、三河国の政治や経済の中心だった。全域が宝飯郡に所属していた。砥鹿神社は三河国の一宮である。近世には豊川が豊川稲荷の門前町として発展し、現在の市域の西部では、東海道の御油宿や赤坂宿などの宿場町が発展した。明治期はこれらに加え、伊那街道沿いの牛久保が商業地、宝飯郡役所が置かれた国府が地域行政の中心となった。
一方、現在の市役所周辺は明治以降も本野ヶ原と呼ばれる森林等の閑静地だったが、豊川海軍工廠が太平洋戦争直前に、豊川、牛久保の2町と八幡村に跨った地に開設され、「東洋一の武器工場」と謳われ、機銃や弾丸の製造が行われた。1945年(昭和20年)のピーク時には6万人もの従業員が働いており、豊川市の人口は1940年(昭和15年)に約3万人だったのが、1945年には約9万人に膨れ上がっている。
戦中の1943年(昭和18年)には宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村・国府町が合併し、豊川市として市制施行(愛知県8番目、県内では春日井市と同時市制)した。初代市長は加藤守道[注 1]。
1945年8月7日の豊川大空襲では約2500人が犠牲となり、終戦後、豊川海軍工廠も閉鎖になった。一方、空襲で被災した岡崎高等師範学校や愛知第二師範学校が岡崎市から工廠跡地に移転し、学制改革時まで一時的に三河地方の文教都市となったものの、工廠を失ったことで、最盛期から人口は激減した。
昭和大合併期の1955年に八名郡三上村、やや遅れて[注 2]1959年には旧東海道宿場町の御油町を合併。高度成長とともに工廠跡地に工場が立地し、東名高速道路に豊川インターチェンジが開設されたこともあり、徐々に人口が増加。1980年頃に人口が10万人を突破した。
平成大合併では、2006年(平成18年)から2010年(平成22年)にかけて、豊川市は宝飯郡一宮町、音羽町、御津町、小坂井町を編入。4町合併で宝飯郡は消滅した。
交通[編集]
鉄道[編集]
道路[編集]
旧跡[編集]
寺院[編集]
- 豊川稲荷 - 曹洞宗の寺院である妙厳寺の通称。日本三大稲荷のひとつとされ、参拝者は年間数百万人に上る。織田信長、豊臣秀吉、渡辺崋山など多くの武人や文人に崇敬された。1000体以上の狐の石像が祀られている霊狐塚がある。豊川稲荷は厳密には神社ではないが、境内には鳥居も見られ、神仏混淆時の雰囲気が残っている。東京港区赤坂にある東京別院は大岡忠相によって招聘されたもので、妙厳寺唯一の直営別院である。スポーツ強豪校の私立豊川高等学校は妙厳寺によって運営されている。
- 三明寺 - 一般的には豊川弁財天と呼ばれる。大宝年間(701年-704年)の創建と伝わる。享禄4年(1531年)建立の三重塔は国の重要文化財。
- 大恩寺 - 御津山の北麓にある。牛久保城主である牧野氏の菩提寺。仏画「絹本著色王宮曼荼羅図」は国の重要文化財。
- 財賀寺 - 聖武天皇の勅願によって行基が創建したとされる。平安時代後期の木造金剛力士像と室町時代の仁王門はいずれも国の重要文化財。
- 法住寺 - 足利義澄の家臣が建立。千手観音菩薩像は国の重要文化財。毎月17日は参拝者が多い。
神社[編集]
- 砥鹿神社 - 旧社格は国幣小社。大宝年間(701年-704年)の創建と伝わる。三河国の一宮であり、東海地方の諸地域から参拝者が訪れるため、「東海地方の総鎮守」であるとされる。5月の例大祭では流鏑馬などの神事が行われる。本宮山の山頂に奥宮があり、本宮山の山麓に里宮がある。本宮山は東三河地方では目立つ山であり、その山体が信仰の対象とされる。
- 宮道天神社 - 宮路山の山頂近くに本宮があり、宮路山の山麓に拝殿がある。元日には本宮で初日の出を待つ参拝者が数多くいる。
- 御津神社 - 創建は西暦以前にさかのぼるとする伝承がある。孝元天皇がこの地を行幸した際に御船を寄せたことから御津という地名が付けられたとされる。
- 八幡宮 - 豊後国の宇佐神宮から勧請されたとされる。文明9年(1477年)建立の本殿は国の重要文化財。
観光スポット[編集]
- 大和の大いちょう - 豊津町割田にあるイチョウの大木。高さ約25メートル。大和保育園そばにあり、見ごろは11月下旬から12月初旬。1922年から1923年頃、大和尋常高等小学校[注 3]の新築を記念して植樹された。2009年10月や2018年9月の台風で被害を受けたが保護活動が進められている。
- 宮路山 - 標高362メートル。低山だが東三河地方では目立つ山であり、観光シーズンにはハイキング客でにぎわう。山頂付近からは三河湾や豊橋平野や渥美半島を一望できる。紅葉の名所として知られ、晩秋にはコアブラツツジが見ごろとなる。
- 本宮山 - 岡崎市や新城市との境界にある標高789mの山。三河湾や豊橋平野を一望でき、富士山が見えるスポットもある。地上波デジタルテレビ放送や県域・AM補完[注 4]FM放送の豊橋中継局が本宮山の山頂や山腹に置かれ、豊橋、豊川、新城各市の平野部をカバーし、静岡県西部の一部でも放送中の時期のアナログテレビや民放FM放送が受信されていた。
産業[編集]
- 商業
- 商業は長らく隣接する豊橋市への依存が高く、人口が10万を超えた昭和末期でも「人口の割に、大型商店が貧弱」な状態だった。これを打開すべく、以下のように大型店が開店し貧弱状態は解消した。
- その一方、過当競争となって「プリオ」は空きテナントに悩まされる状況になっている。
特産品[編集]
教育[編集]
大学[編集]
市内に大学学部はない[注 5]。
専門学校[編集]
- 中部福祉保育医療専門学校
高等学校[編集]
商業と同様、高等学校普通科も昭和末期まで人口の割に貧弱で、豊橋など他市への流出が当たり前だった。
- 愛知県立国府高等学校 - 旧高女からの伝統校。甲子園出場歴もある。
- 愛知県立豊川工科高等学校
- 愛知県立宝陵高等学校 - 看護専攻科を有する。
- 愛知県立小坂井高等学校
- 愛知県立御津あおば高等学校
- 豊川高等学校
特別支援学校[編集]
- 愛知県立豊川特別支援学校
- 本宮校舎 - 宝陵高校に併設
脚注[編集]
- 注
外部リンク[編集]