蒲郡市
蒲郡市(がまごおりし)は、愛知県南東部にある市。東三河地方に含まれる。人口は約8万人。市域の一部は三河湾国定公園に指定されている。
地理[編集]
市域の南側は三河湾が広がる。市域の北側は山地である。
歴史[編集]
江戸時代は脇往還の平坂街道沿いの街村。1878年(明治11年)に宝飯郡蒲形村と西之郡村が合併し、両村から一文字ずつを取って蒲郡村となったことが「蒲郡」という名称の由来である。ただし、この際には「かまごおり」と読んでいた。
明治になり、東海道の赤坂〜藤川間の勾配を避けることから、豊橋から海岸沿いのルートで鉄道が敷設されることが決まり、1887年の鉄道開業とともに蒲郡駅が設置された。明治鉄道開業以降から大正時代にかけて蒲郡町の竹島海岸周辺が保養地として鉄道唱歌で唄われるほど知られ、料理旅館の常盤館や国際観光旅館の蒲郡ホテル(現在の蒲郡クラシックホテル)などが建設された。蒲郡町の周辺にある西浦町・三谷町・形原町なども、温泉保養地として発展して、1929年には三河三谷駅が開業。1936年には西浦、形原に三河鉄道(名鉄蒲郡線)が開業した。
戦前は蒲郡町が宝飯郡一番の人口を誇っていて、後に豊川市を構成する4ヶ町村を凌いでいたが、東隣の三谷町が蒲郡との対抗意識が強く独自性が高かったため、豊川が先に市制を敷いた。
昭和大合併期の1954年(昭和29年)4月に宝飯郡蒲郡町・三谷町・塩津村が合併し、市制施行して蒲郡市が発足した。この際には読みが「がまごおり」に改められている。1955年(昭和30年)には宝飯郡大塚村の大部分を編入合併。1960年には三河大塚駅が常設駅に昇格している。1962年(昭和37年)には宝飯郡形原町を編入合併し、1963年(昭和38年)には宝飯郡西浦町を編入合併し、現市域が確定するも、人口は1963年時点からずっと8万人台の横ばいで、近接する平成の大合併前の豊川市や西尾市にも抜かれている。
産業[編集]
農業[編集]
温暖な一方、豊川用水が待望されたほど降水量が少ない気候を生かして、江戸時代から蒲郡みかん(蒲郡市で生産されるみかんの総称)を生産しており、1970年代からは蒲郡温室みかん(温室栽培みかんのブランド名)も生産している。みかんの他には、いちご、ぶどう、メロンなども生産している。
工業[編集]
繊維産業が盛んであり、特に全国シェアの約40%を有する繊維ロープで知られている。蒲郡駅南の臨海部にも工業地帯が広がっている。
- 市内に本社がある企業
- 竹本油脂 - マル本胡麻油で有名
- ニデック (医療機器メーカー)
観光サービス業[編集]
三河湾に面した海岸沿いに西浦温泉・三谷温泉・形原温泉・蒲郡温泉の4つの温泉地を有する。
大塚地区には遠浅の星越海岸があったが、近年、星越海岸の埋立地がリゾート地化しており、2001年(平成13年)以降、マリンリゾート施設やショッピングモールがあるラグーナ蒲郡(現在のラグーナテンボス)が開業した。
交通[編集]
道路[編集]
- 高速道路は市域内に無く、音羽蒲郡IC利用となる。
鉄道[編集]
- JR東海
- 昭和から平成にかけ駅増設に積極的で今や岡崎市や豊橋市より東海道本線の駅数が多い。
バス路線[編集]
教育[編集]
- 大学・短期大学
- (私立)愛知工科大学 - 1987年(昭和62年)に愛知技術短期大学として開学し、2000年(平成12年)に4年制大学化が図られた。1級自動車整備士取得が可能。
- (私立)愛知工科大自動車短期大学 - 2級自動車整備士取得が可能
- 高校
- 愛知県立蒲郡高等学校 - 1912年(明治45年)創立。旧制高女と旧制農学校が前身。全日制総合学科・夜間定時制普通科のため、学区制の枠外で尾張地方からも進学できる。プロ野球選手の千賀滉大の出身校として知られる。
- 愛知県立蒲郡東高等学校 - 1968年(昭和43年)創立であり、自治体2校目の普通科高校としては創立時期が早かった。
- 愛知県立三谷水産高等学校 - 愛知県唯一の水産高等学校で、県内はもとより海なし県からの入学も可能。
- (私立)海陽中等教育学校 - 2006年(平成18年)に開校した全寮制の中高一貫制男子校。トヨタ自動車・JR東海・中部電力など中部財界の有力企業が中心となって設立。