額田県

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額田県(ぬかたけん)とは、明治時代初期に中部地方東海地方)に存在した県。

概要[編集]

明治4年11月15日1871年12月26日)に三河県重原県半原県豊橋県岡崎県西大平県刈谷県西端県西尾県挙母県田原県など11県を統合して成立した県で、額田郡岡崎に県庁が置かれた。

明治5年11月27日1872年12月27日)に府県統合で額田県は廃止され[1][2]愛知県[注 1]に吸収された。

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三河国および尾張知多半島を県域としていた[注 2]

脚注[編集]

  1. 吸収合併の8ヶ月前に名古屋県から改称。
  2. 当時の知多郡であり、現在は名古屋市緑区の大高、有松地域も額田県の県域だった。
出典
  1. 谷川『知らなかった!都道府県名の由来』P126
  2. 谷川『知らなかった!都道府県名の由来』P127

参考文献[編集]