国鉄201系電車
天王寺駅に停車する大和路線の201系 | |
製造所 | 東急車輛製造 日本車輌製造 川崎重工業 近畿車輛 日立製作所 |
運用者 | 日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 |
製造年 | 1979年 - 1985年 |
製造両数 | 1018両 |
最高運転速度 | 100 km/h |
設計最高速度 | 110 km/h |
電源方式 | 直流1500 V |
保安装置 | ATS-S ATS-SN ATS-SW ATS-B ATS-P EB・TE装置 - JR西所属車の一部 |
主電動機 | MT60 |
制御方式 | サイリスタチョッパ制御 弱め界磁制御 |
歯車比 | 1:5.6=15:84 |
台車 | 円筒案内式インダイレクトマウント空気ばね台車 DT46(B) TR231(A) |
主な走行路線 | 大和路線 |
主な運用 | 普通・快速 |
所属車両 センター | 吹田総合車両所奈良支所 |
あだ名 | E電 骨董品E331系 |
国鉄201系電車(こくてつ201けいでんしゃ)とは、日本国有鉄道が開発、製造した直流電車である。国鉄分割民営化後も新会社に引き継がれた。
誕生の背景[編集]
1970年代、大都市で運転されていた通勤型電車国鉄103系電車は制動時の運動エネルギーが抵抗器から熱として放出されていたので電力損失の少ない電車が開発されていた。加えて、地下鉄対応車の103系1000番台では地下鉄内で冷房を持たず、自然通風式にしたことにより車内に熱がこもりモーターが焦げるといった問題点を抱えていた。
概要[編集]
1979年に試作車が登場した。従来の抵抗制御から、サイリスタチョッパによる直流電動機を制御する方法が採用された。これは直流電源を取り入れてチョッパ回路で半導体スイッチ(サイリスタはスイッチングを行う)を高速でオンオフ(機械スイッチではないので機械的接点はなく、保守は容易)することにより直流電圧を制御し、直流電動機を駆動するシステムである。大容量の抵抗器が必要がなくなり、制動時に発生した電力は抵抗器にではなく、架線に戻して近くの電車に使ってもらう回生ブレーキ[1]が採用された。サイリスタの採用は国鉄711系近郊型交流電車で前例があったが、これは交流電車で、交流から直流への整流のためと速度制御に使用されたが、直流電車の速度制御では量産車では初めてであった。空気バネ台車も採用された。
室内設備[編集]
車内の色調は従来の暗い印象のグレーと灰緑色から明るい印象のクリーム色とベージュとし、座席のモケットの色称も変更された。同時期に登場した国鉄117系電車、国鉄781系電車、国鉄183系気動車と同じである。またパイプの肘掛から板状の肘掛とし、扇風機の代わりに三菱電機が設計するラインデリアを装備するという、次世代車両の名に相応しい車両であった。この他にスタンションポールも設置された。
電機子チョッパ制御の問題点[編集]
当時国鉄では財政難に陥りながら、サイリスタチョッパ制御の開発には膨大な費用がかかり[2]、モーターを制御する大量の大容量の半導体(サイリスタ)等に多額の費用がかかった。また鋼製車体のため軽量化はされず、少しの省エネは実現したが、製造は4年間で終えて205系の製造に切り替えていった。
その後[編集]
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先述の通り製造は4年で打ち切られたが、合計製造両数は1018両にのぼり、JR東日本に794両、JR西日本に224両が継承された。
JR東日本[編集]
JR東日本では10連、6連、4連を組み、主に中央快速線や中央・総武緩行線で使用されていた。
中央快速線/青梅線/五日市線/富士急行線[編集]
中央快速線には当初594両が配置され、2006年までは201系に統一されていた。1985年には残存する分割対応編成のパンタグラフが狭小トンネル対応のPS24形に交換された。
一時期は武蔵野線にも投入されていたが、1996年に終了し、同時に八高線への乗り入れも開始した。また、8月の諏訪湖祭湖上花火大会に対応して中央東線諏訪・松本地域の観客輸送列車にも使用された。
2001年には訓練車として使用されていた4連1本が展望列車の「四季彩」に改造され、同時期には後述の中央・総武緩行線から120両が青梅線・五日市線専用として転入した。
1997年の事故に本形式が絡んだものの廃車は発生しなかったが、駅間距離の長さから老朽化が著しいため、2006年以降E233系に置き換えられて廃車が進み、四季彩に改造された車両を含めて全車が2010年までに運用を離脱し、2020年10月現在はクハ201-1のみが保留車として在籍している。この1両も2025年度にリニューアルオープンする青梅鉄道公園に保存されるという見方が強い。
中央・総武緩行線[編集]
中央・総武緩行線には当初試作車を含めた200両が配置された。すべて分割編成であったが、一部は元中央快速線の車両ということもあり、車体色が転属当初オレンジ色となっていたため、誤乗防止のステッカーが貼られている。
1988年12月5日には10両編成1本が103系に追突し、最後尾のクハ201-3を除く9両が廃車された。
残留編成についてもE231系への置き換えが開始されると転属となり、120両が中央快速線に、試作車を含む70両が京葉線に転出した。
保留車として残ったクハ201-3についても2005年12月をもって廃車となり、中央・総武緩行線への配置はなくなった。
京葉線[編集]
2001年までに中央・総武緩行線から70両が転入したが、試作車については中間に組み込まれ、営業線上で先頭に立つことはなかった。
2005年には山手線から205系が転入したが、これに伴い試作車10両が廃車解体された。2007年には205系の不足分として中央快速線から2本が転入したが、2011年6月までに全車が運用離脱し、JR東日本車の運用は完全になくなった。
JR西日本[編集]
JR西日本では当初7連32本を組み、京阪神緩行線に投入されたが、後に8連と6連に組み替えらえて他線区に転出した。
京阪神緩行線[編集]
1983年より投入され、1985年には日中の普通列車が本系列に統一された。1986年には同線に205系が28両投入されたが、それによる置き換えはなかった。
JRに入り、1994年には207系1000番台が投入されて103系が駆逐されたため、湖西線にも運用を拡大した。
和田岬線電化後は同線の予備車としても使用されるようになり、その際はサハ201を抜いた6連での運行となった。
しかし、2005年以降321系が投入されたため2007年までに全車が運用離脱し、全車が大和路線または大阪環状線に転出した。
大阪環状線[編集]
103系の高経年車の置き換えのために8連16本が転入した。体質改善工事についても全車に施工済みの状態で転入した。
主に大阪環状線・桜島線で運用され、2016年までは大和路線の朝ラッシュ時の運用にも就いた。
特に大阪環状線では駅間距離が短く、中央快速線や京阪神緩行線よりは本来の性能を活かせたと言える。
しかし、大阪環状線内のドア数統一計画が浮上すると323系への置き換えの対象となり、一部が大和路線に転属した以外は2019年8月までに廃車となり、サハ201形については形式消滅した。
関西本線[編集]
2006年より6連16本が転入し、103系を置き換えたが、103系は6連3本が残留した。その後、おおさか東線の部分開通に伴い本系列が積極的に投入された。
2017年以降は残る103系6連3本の置き換えのために大阪環状線から3本が転入、さらにおおさか東線の全通により3本が転入し、計22本132両体制となった。
しかし、2023年度までに225系を東海道本線に投入し、221系を玉突きで奈良に転属させ、201系をすべて置き換えると発表しており、2020年5月29日のND603編成を皮切りに同線の201系にも廃車が発生している。
2022年にはおおさか東線系統から撤退。以降は大和路線系統でのみ使用される。
なお、大和路線系統でも2024年度での引退が見込まれている。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 堀孝正『パワーエレクトロニクス』オーム社出版局2002年2月25日第1版第7刷発行
- 酒井善雄『電気電子工学概論』丸善株式会社
- 力武常次、都築嘉弘『チャート式シリーズ新物理ⅠB・Ⅱ』数研出版株式会社新制第11刷1998年4月1日発行
脚注[編集]
- ↑ 国鉄でも1950年代に増備された国鉄EF16形電気機関車で採用されているが、省エネではなく、摩擦材を押し付ける踏面ブレーキの熱変形を抑える目的での採用だった。
- ↑ 先行もしくは同時期にチョッパ制御を導入した大手私鉄は電機子チョッパよりコスト安の複巻電動機と界磁チョッパによってチョッパ制御を定着させていった。
外部リンク[編集]
JR JR東日本の鉄道車両 |
JR西日本の鉄道車両 |