尾張国
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尾張国(おわりのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった律令国の一つ。尾州(びしゅう)とも称される。
地理[編集]
太平洋の伊勢湾に面し、東海道に属していた。濃尾平野は美濃国と尾張国の頭文字を取って名付けられている。ざっくりいえば現在の愛知県西部に対応する。
名称[編集]
名称の由来は「尾張」と「尾治」の2つがある。しかし「尾治」については過去の木簡や文献に現れるだけで、現代「尾治」という呼称は使われていない。
歴史[編集]
7世紀頃に律令制が敷かれると、およそ現在の尾張地方と呼ばれる地域が尾張国として行政区画として制定された。
室町時代は斯波氏が尾張の守護大名で有った。斯波氏の守護代織田氏が実力を持ち、応仁の乱の混乱の中、織田信定が弾正忠家の基盤を築き、織田信秀が勢力を拡大した。信秀の死後は織田信長が家督を継ぐ。信長は斯波氏が信長追放を企てると斯波氏を追放し戦国大名織田氏の領国となる。
織豊期の1586年に木曽川の流路が変わり、海西、中島、葉栗の3郡が木曽川で二分。豊臣秀吉の裁定で、3郡の木曽川の右岸(西側)地域は美濃国の所属となった。これらは、現在の岐阜県の海津市の一部と羽島市、羽島郡に相当する。
現代の自治体[編集]
江戸時代以降の尾張国域は、およそ以下の市町村が該当する。
名古屋市、一宮市、小牧市、犬山市、江南市、岩倉市、稲沢市、津島市、春日井市、瀬戸市、北名古屋市、清須市、尾張旭市、日進市、大府市、豊明市、東海市、常滑市、知多市、愛西市、弥富市、あま市、長久手市、東郷町、南知多町、大口町、扶桑町、豊山町、飛島村、大治町、蟹江町、東浦町、阿久比町、武豊町、美浜町。
関連項目[編集]