周防国
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周防国(すおうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。防州とも呼ばれる。山陽道に属する。
概要[編集]
国域は、山口県のうち、旧阿東町以外の山口市および宇部市の旧東岐波村、旧西岐波村以東の地域にあたり、吉敷郡(山口市の大半と宇部市の旧東岐波村、旧西岐波村)、佐波郡(防府市と山口市のうち旧佐波町)、都濃郡(周南市の大部分、下松市)、熊毛郡(光市、周南市の旧熊毛町域、田布施町、平生町、上関町)、玖珂郡(岩国市、柳井市、和木町)、大島郡(周防大島町)が該当する。
国府、国分寺とも現在の防府市に置かれていた。戦国時代に中国地方に覇を唱えた毛利家が防長二国に減封された際毛利輝元も当時三田尻と呼ばれた防府への築城を求めた(第二希望山口、第三希望が萩)が、幕府の裁定により、防府や山口は分限にあらずとされ、以来、国域の大半が長州阿武郡萩を根拠地とする長州藩の支配下に置かれた。江戸時代は本家に当たる毛利宗家のほか、分家である徳山毛利家、岩国吉川家に分かれていた。ただし江戸時代のほとんどの期間、吉川家の岩国領は領内分知の家臣と萩の毛利宗家がみなす一方、幕府から外様大名格として扱われた。
幕末には周防国域に山口政事堂が置かれた。このことが決め手となり、防長2カ国の県庁所在地は山口市とり現在に至る。一方、毛利博物館や、かつてのNHKの県域放送局は防府に置かれていたという事実もある。
長州藩は明治維新で大きな役割を果たしたため、防長2カ国という枠組みで捉える場合も、周防国も含め長州という言葉で呼ばれることが今でも少なくない。たとえば、周防徳山出身ながら長州を名乗った長州力のような人物もいる。