上杉房能
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上杉 房能(うえすぎ ふさよし、? - 永正4年8月7日[1](1507年9月13日))は、戦国時代前期の守護大名で越後守護。山内上杉家の一族である越後上杉家の出身。通称は九郎[1]。官位は民部大輔[1]。父は上杉房定[1]。兄に定昌・顕定。子に娘(上杉定実室)、養子に龍松・定実。贈正四位[2]
生涯[編集]
明応3年(1494年)に家督を相続する[1]。永正元年(1504年)に兄で関東管領の上杉顕定を助けるために越後の軍勢を率いて関東に出兵し、扇谷上杉朝良の河越城を攻めた[1]。
房能の領国経営は国人層における従来の特権を否定する物が多く、そのため越後支配は動揺し、守護代の長尾為景と対立する[1]。永正4年(1507年)に房能と為景は武力抗争に至り、房能の養子であった定実を擁した為景の前に松之山郷で戦って敗れて自殺した[1]。
後継には定実が擁立されたがこれは為景による傀儡に過ぎず、越後上杉家は没落することになる。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『戦国人名事典コンパクト版』 阿部猛、西村圭子、新人物往来社、1990年9月 ISBN 4-404-01752-9