北陸本線の歴史
北陸本線の歴史(ほくりくほんせんのれきし)は国家によって建設された北陸本線の建設と改良の歴史である。
概要[編集]
滋賀県の米原駅と新潟県上越市の直江津駅とを結び、京阪神地区および名古屋圏から北陸地方を結ぶのみならず、かつては西日本・加越地方と首都圏、東北地方、北海道を結ぶ長距離旅客列車を多く運行していた。これらは飛行機の高性能化による地方空港のジェット化からの航空路の発達や新幹線開業により次々と消え去った。
しかし、物流の大動脈であるために、大半の区間が並行在来線として、旅客輸送が西日本旅客鉄道から分離されても、日本貨物鉄道が担う貨物輸送の重要性は変わらない。
名称[編集]
律令制の首都である京都からみて「北」へ向かう「陸」の「道」である「北陸道」から名付けられた。
全通までの経緯[編集]
律令制の基で北陸地方への交通路として北陸道が整備された。北陸道は山道が多く、自然災害によって道路が破壊されたので時代によって経路は大きく変わった。陸路では多くの貨物が運べないので江戸時代には内航海運が盛んになり、酒田を発って江戸に至る西廻海運による航路が北陸地方にも開設され、北前船が寄港する港町は大きく栄えた。明治時代に入ると琵琶湖疏水が開通し、さらにここから敦賀へ抜ける運河も計画された。これは内航海運だけでなく大陸との貿易、及び、当時もっとも脅威であった清との戦いに備えたものでもあった。
一方、運河を通過する内航海運よりも速度、輸送量が大きい交通路として鉄道の建設が計画され、当初は前田家当主の前田利嗣をはじめとする華族が資金を集め、私設の東北鉄道による建設が計画されたが免許が下りず、政府によって着工された。
開業[編集]
まずは、長浜駅から柳ヶ瀬間が建設され、次いで関ケ原駅から長浜駅までが、短期間で廃止の春照経由ルートで建設されて、さらに柳ヶ瀬駅から敦賀駅を経由して金ケ崎駅まで東海道本線の支線として延長された。これが今日の北陸本線の歩みの始まりである。
路線の延長と自然との闘い[編集]
路線は、その後、福井駅、金沢駅、高岡駅、富山駅、泊駅と延長されていった。
新潟県側も信越本線の支線として建設が進み、1913年の青海 - 糸魚川間の開通で全通した。
海岸線にへばりつくように建設された糸魚川 - 直江津間は地すべり常習地帯を抱え、全通後も自然災害での被災が目立った。
昭和戦前にようやく複線化が着手されるが、戦前に複線化されたのは七尾線列車が乗り入れる金沢 - 津幡間と福井 - 福井操車場間のみだった。また、電化についても、大正時代に今庄駅までの直流電化を早急にすべきという意見があり、電化計画が既に存在していたが、実現は見送られた。
他方、自然環境の厳しい北陸本線のバイパス線として1934年に高山本線が全通し、同年に越美南線も開通したが、越美線の全通はならなかった。さらに、長野県安曇野の局地鉄道だった信濃鉄道も信越縦貫鉄道建設を見越して、1937年に国有化された。
線形改良[編集]
単線非電化で急勾配区間の多かった北陸本線も輸送力増強のために、戦後に複線電化や路線改良が実施されていった。線形改良は俱利伽羅駅と石動駅の間が既に戦前から手を付けられたが、開業は戦後になってからであった。旧線は1967年に国道8号に転用された。次に、木ノ本駅 - 敦賀駅 - 今庄駅の区間の改良であった。
詳細は「北陸トンネル」を参照
この区間は敦賀を経由しない短絡案も比較されたが、結局近江塩津駅、北陸トンネル経由の別線の建設を行い、同時に交流電化を行って、1962年に別線が開通した。
同時期の東海道新幹線建設に当たっては、米原駅経由で建設されることになり[注 1]、北陸本線は新幹線接続路線として充実されることになった。結果、深坂・北陸トンネル開通によって江若鉄道の国有化と延長の議論が沸き起こった。
泊駅 - 直江津駅間は海岸線にへばりつくような路線環境で、特に親不知駅付近をはじめとした過酷さは相変わらずで、1963年3月には能生駅西方で、普通列車が崩落地に突っ込んで機関車が日本海に流される事故が生じ、1960年代後半の大改良のきっかけとなった。
電化[編集]
北陸本線の電化計画は大正時代に既に存在しており、今庄駅までの直流電化が想定されていた。この区間は急勾配区間で蒸気機関車が三重連で貨物列車を運転しており、輸送の改善が求めたれていた。戦後に再び直流電化計画が持ち上がるが、新開発の交流電化が費用対効果で安くつくからと田村以北で交流電化を行うことになった。この間、交流電化区間は敦賀駅、福井駅、金沢駅と延伸し、1964年10月には富山駅まで伸びた。
東海道新幹線開通の翌年の1965年には、交流電化区間は泊、糸魚川と延伸され、市振 - 青海間で線路の移設が実施されて複線化もされた。電気機関車は田村 - 糸魚川間でED70やEF70が使用された。
この時点で複線化が進んでいなかった浦本以東については、頸城トンネル掘削や筒石駅のトンネル内移転を含む山側への線路移設が行われ、昭和44年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正によって全線複線化を伴って完成した。
同時に、電化方式については、新潟県下で先行直流電化した信越本線に合わせて、糸魚川 - 梶屋敷間にデッドセクションを設けた直流電化となり、これが今日では魚津駅以東のかつての特急、急行停車駅と直江津への往来の不便さ、糸魚川と新井方面との列車設定の制約という負の影響となっている。
東海道新幹線開業時[編集]
1964年10月の東海道新幹線開業前、北陸本線の昼行特急は「白鳥」しかなかったが、新幹線開業および前述の富山電化を契機に交直流特急型電車が新造され、大阪駅発着の特急「雷鳥」と名古屋発着の「しらさぎ」が新設されることになり、12月25日から運行を開始した。急行は大阪 - 富山間で「越山」が新設され、他に、大阪 - 金沢間の「加賀」、敦賀 - 金沢間の「くずりゅう」が運行していた。
翌々年に「雷鳥」は1往復増発され、名古屋発着で急行「兼六」が設定されていた。
いわゆるヨン・サン・トオ改正では、日本海縦貫線を運行する特急「日本海」が新設された。
山陽新幹線岡山開業後[編集]
1972年3月15日の山陽新幹線岡山開業に伴うダイヤ改正で、それまで長距離客車昼行急行で存置されていた「白山」が特急に格上げされ、横軽対策を施した489系が投入された。また、間合い運用で「しらさぎ」の1往復で583系が北陸本線に初入線した。一方、中部循環急行の「しろがね」、「こがね」は廃止され、夜行普通列車は大阪発新潟行の片道のみとなった。
次いで、同年10月2日に羽越本線が全線電化され、それに伴うダイヤ改正で、長らく80系気動車で運行された特急「白鳥」が電車化された。
夜行列車では大阪 - 富山間の急行「つるぎ」が新潟まで延伸して、20系使用の特急ブルートレインになった。
湖西線開業後[編集]
1974年7月に湖西線が開業したが、翌年3月の全国ダイヤ改正を控え、優等列車はそのままにされた。
1975年3月ダイヤ改正で優等列車のダイヤは一変し、急行「越後」、「ゆのくに」、「きたぐに」は米原経由で存置されたが、大阪駅発着の北陸本線特急と急行「立山」は湖西線経由となり、代わりに米原駅発着の特急「加越」が新設され、名古屋発着の「しらさぎ」と共に東京・静岡方面からの新幹線接続の役割を担った。ただし、急行「兼六」は「しらさぎ」に格上げされ廃止された。
東側も、季節急行1往復を格上げ・定期化して特急「北陸」が新設され、存置された急行「越前」、「能登」と共に北陸 - 上野間の夜行輸送を担った。
昭和53年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正では、それまで新潟発着の全ての北陸特急に使用された「北越」が金沢 - 新潟間の1往復のみとなり、「雷鳥」が新潟県内に進出した。一方、急行「越後」は特急「雷鳥」に格上げされ、「越後」に併結された七尾・能登線直通の「ゆのくに」も北陸本線の乗り入れを廃止した。
さらに、「信越白鳥」からの分離以来の歴史を持つ「はくたか」も1979年4月に2往復に増発された。
なお、1978年10月改正では、山陰本線直通の急行「大社」の金沢発着編成が、天橋立駅折り返しに短縮され、金沢 - 米子間を運行した編成は福井 - 天橋立間に短縮されて、急行「あさしお」からの伝統を持つ北陸と山陰を直通する唯一の優等列車が消滅した。この時残った名古屋発着編成も、1982年7月の伯備線電化に伴うダイヤ改正で、天橋立駅折り返しになり、米原、長浜、敦賀から山陰方面へ直通する優等列車が消滅した。
上越新幹線開業後[編集]
1982年11月の上越新幹線開業は北陸本線へも影響が及び、上越線直通の上野特急「はくたか」は廃止され、1往復だけだった特急「北越」は3往復になった。特急「白鳥」は急行「しらゆき」の格上げで福井 - 青森間に1往復新設され、2往復となった。
急行は大削減され、昼行「立山」、「ゆのくに」は特急格上げで廃止。「くずりゅう」は1往復に削減され、福井発着列車は快速化された。夜行急行「越前」は上越線経由の「能登」と統合され、金沢 - 長野 - 上野間の急行「能登」となった。加えて前述の「しらゆき」格上げのあおりで「白馬」は廃止され、北陸から大糸線直通の優等列車は消滅した。
昭和60年3月14日日本国有鉄道ダイヤ改正には普通列車の電車化が行われ、旧型客車の普通列車が全廃。同時に特急列車も「白山」1往復と上述の福井発着の「白鳥」の系統分割で「北越」は5往復になった。急行は「くずりゅう」や高山本線直通の「のりくら」が廃止された。
荷物輸送が全廃される昭和61年11月1日日本国有鉄道ダイヤ改正の前に鉄道郵便線路である阪青線が廃止され、全て自動車郵便線路と航空郵便線路に置き換えられた。
1987年3月には、翌月の国鉄分割民営化準備のため、米原駅の所属が名古屋鉄道管理局から大阪鉄道管理局に変更された。
JR発足後[編集]
1987年4月1日の国鉄分割民営化により、北陸本線は西日本旅客鉄道、日本貨物鉄道の鉄道路線となった。
一本列島の1988年3月13日ダイヤ改正では、速達特急「かがやき」、「きらめき」が新設され、新幹線接続の速達輸送が充実した。
1991年9月1日には西側の交直デッドセクションが虎姫駅南方に移設し、米原~長浜間が直流電化。これにより、河瀬・近江八幡方面の列車が毎時2本長浜まで直通する様になり、坂田駅も移転した。同時に河毛駅もホームを延長して全列車停車となった。
2006年には、西側の交直デットセクションが北陸トンネルの西寄り付近に移設し、長浜〜敦賀間が直流電化。直流電化した区間はパターンダイヤ化され、米原方面〜長浜〜近江塩津間、今津方面〜塩津〜敦賀間とも毎時1本運行する様になった。一方で木ノ本方面〜塩津〜敦賀方面の直通は大幅に削減され、近江塩津での乗換がほぼ必須となった。
北陸新幹線開業後[編集]
2015年には、北陸新幹線が金沢まで開業。一方、北陸本線は並行在来線として、金沢以東の旅客運営が分断された。
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沿線状況[編集]
「北陸本線の沿線状況」も参照
全線に亘って国道8号とほぼ並行。
旧線区間で江越国境は柳ケ瀬、刀根を経由して敦賀に到達した。
敦賀から現在の南今庄の西側にあった大桐まで小トンネルとスイッチバックを用いて急峻な地形を切り抜けた。この区間では杉津駅付近が日本海の眺望抜群で景勝地となり、海水浴場も近かったため夏は海水浴客で賑わった。北陸トンネル開通は特急輸送や貨物輸送の改善に大きく貢献したが、一方で杉津という北陸本線随一の景勝地を失う犠牲も生じた。
1969年に線路を移設した浦本以東も現在の国道8号に沿っており、日本海の眺望に富んでいた。谷浜 - 直江津間は郷津駅を経由していた。
複線化[編集]
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沿線周遊指定地[編集]
1968年10月1日ダイヤ改正[編集]
当時の駅一覧と主な列車[編集]
凡例[編集]
営業キロ | 駅名 | 駅設備/列車番号 | 622 | 523 | 525 | 501 |
… | 大阪駅発 | → | 2217 | 2045 | ||
… | 京都駅発 | → | 2306 | 2128 | ||
… | 大津駅発 | 2320 | 2139 | |||
… | 彦根駅発 | 0030 | ↓ | |||
0.0 | 米原駅発 | 洗弁電赤 | 0938 | 1142 | 0045 | 2252 |
2.6 | 坂田駅発 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |
4.7 | 田村駅発 | 0951 | 1153 | 0056 | 2304 | |
7.7 | 長浜駅発 | 1004 | 1158 | 0102 | 2309 | |
12.8 | 虎姫駅発 | 1009 | 1204 | ↓ | ↓ | |
15.6 | 河毛駅発 | ↓ | ↓ | ↓ | [急行] | |
18.2 | 高月駅発 | 1015 | 1210 | ↓ | 「きたぐに」 | |
22.4 | 木ノ本駅発 | 1021 | 1217 | 0115 | ① | |
26.5 | 余呉駅 | 1026 | 1222 | ↓ | B | |
31.3 | 近江塩津駅発 | 1032 | 1229 | ↓ | ★ | |
39.2 | 新疋田駅発 | 1041 | 1237 | ↓ | 食 | |
45.8 | 敦賀駅着 | 洗弁電 | 1048 | 1245 | 0137 | 2342 |
45.8 | 敦賀駅発 | … | 1053 | 1300 | 0145 | 2346 |
62.4 | 南今庄駅発 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |
65.1 | 今庄駅発 | 洗 | 1123 | 1322 | 0205 | ↓ |
68.8 | 湯尾駅発 | 1128 | 1327 | ↓ | ↓ | |
72.3 | 鯖波駅発 | 1133 | 1332 | ↓ | ↓ | |
76.9 | 王子保駅発 | 1138 | 1337 | ↓ | ↓ | |
81.2 | 武生駅発 | 1145 | 1354 | 0222 | 0022 | |
86.3 | 鯖江駅発 | 1152 | 1400 | 0229 | ↓ | |
89.6 | 北鯖江駅発 | 1156 | 1404 | ↓ | ↓ | |
94.3 | 大土呂駅発 | 1201 | 1410 | ↓ | ↓ | |
97.4 | 越前花堂駅発 | 1206 | 1414 | ↓ | ↓ | |
100.0 | 福井駅着 | 洗弁電 | 1210 | 1418 | 0243 | 0040 |
100.0 | 福井駅発 | … | 1220 | 1423 | 0250 | 0045 |
106.0 | 森田駅発 | 1227 | 1429 | ↓ | ↓ | |
108.2 | 春江駅発 | 1231 | 1433 | ↓ | ↓ | |
112.0 | 丸岡駅発 | 1237 | 1439 | 0301 | ↓ | |
117.8 | 金津駅発 | 1249 | 1446 | 0309 | ↓ | |
121.6 | 細呂木駅発 | 1254 | 1451 | 0314 | ↓ | |
124.7 | 牛ノ谷駅発 | 1258 | 1455 | ↓ | ↓ | |
130.4 | 大聖寺駅発 | 弁 | 1316 | 1503 | 0325 | ↓ |
134.5 | 作見駅発 | 1322 | 1508 | 0331 | ↓ | |
137.8 | 動橋駅発 | 1337 | 1512 | 0336 | ↓ | |
142.6 | 粟津駅発 | 1343 | 1519 | 0343 | ↓ | |
148.4 | 小松駅発 | 1350 | 1526 | 0351 | 0137 | |
154.2 | 寺井駅発 | 1356 | 1532 | 0358 | ↓ | |
157.4 | 小舞子駅発 | 1401 | 1536 | ↓ | ↓ | |
159.0 | 美川駅発 | 1404 | 1547 | 0405 | ↓ | |
163.0 | 加賀笠間駅発 | 1409 | 1552 | 0410 | ↓ | |
167.4 | 松任駅発 | 1415 | 1558 | 0416 | ↓ | |
170.7 | 野々市駅発 | 1420 | 1602 | ↓ | ↓ | |
173.2 | 西金沢駅発 | 1424 | 1606 | 0424 | ↓ | |
176.8 | 金沢駅着 | +赤洗弁 | 1429 | 1612 | 0430 | 0206 |
… | 金沢駅発 | 1441 | 1632 | 0439 | 0214 | |
179.4 | 東金沢駅発 | 1446 | 1636 | 0443 | ↓ | |
182.3 | 森本駅発 | 1450 | 1641 | 0448 | ↓ | |
188.4 | 津幡駅発 | 1457 | 1649 | 0456 | 0227 | |
194.7 | 俱利伽羅駅 | 1504 | 1656 | 0503 | ↓ | |
201.6 | 石動駅発 | 1512 | 1704 | 0511 | ↓ | |
208.9 | 福岡駅発 | 1519 | 1711 | 0519 | ↓ | |
212.4 | 西高岡駅発 | 1524 | 1716 | 0524 | ↓ | |
217.7 | 高岡駅着 | 洗弁電 | 1530 | 1722 | 0530 | 0254 |
… | 高岡駅発 | 1532 | 1725 | 0541 | 0256 | |
221.3 | 越中大門駅発 | 1536 | 1729 | 0546 | ↓ | |
225.1 | 小杉駅発 | 1542 | 1735 | 0552 | ↓ | |
231.7 | 呉羽駅発 | 1549 | 1742 | 0559 | ↓ | |
236.5 | 富山駅着 | 洗弁電 | 1555 | 1748 | 0606 | 0314 |
… | 富山駅発 | 1601 | 1753 | 0621 | 0324 | |
243.1 | 東富山駅発 | 1611 | 1803 | 0628 | ↓ | |
248.4 | 水橋駅発 | 1617 | 1809 | 0633 | ↓ | |
253.5 | 滑川駅発 | 1624 | 1816 | 0639 | ↓ | |
256.9 | 東滑川駅発 | 1628 | 1821 | 0644 | ↓ | |
261.9 | 魚津駅発 | 1635 | 1827 | 0650 | 0347 | |
268.3 | 黒部駅発 | 1643 | 1835 | 0657 | ↓ | |
272.3 | 生地駅発 | 1648 | 1840 | 0702 | ↓ | |
276.4 | 西入善駅発 | 1653 | 1846 | 0707 | ↓ | |
280.4 | 入善駅発 | 1659 | 1851 | 0713 | ↓ | |
285.6 | 泊駅発 | 1714 | 1858 | 0719 | ↓ | |
290.3 | 越中宮崎駅発 | 1720 | 1903 | 0725 | ↓ | |
295.1 | 市振駅発 | 1726 | 1909 | 0731 | ↓ | |
303.5 | 親不知駅発 | 1735 | 1917 | 0740 | ↓ | |
308.8 | 青海駅発 | 1742 | 1924 | 0748 | ↓ | |
315.5 | 糸魚川駅着 | 洗弁電 | 1750 | 1932 | 0756 | 0443 |
… | 糸魚川駅発 | 1757 | 1954 | 0805 | 0457 | |
319.8 | 梶屋敷駅発 | 1804 | 2000 | 0811 | ↓ | |
323.3 | 浦本駅発 | 1812 | 2005 | 0816 | ↓ | |
328.9 | 能生駅発 | 1822 | 2014 | 0825 | ↓ | |
335.3 | 筒石駅発 | 1837 | 2023 | 0839 | ↓ | |
341.9 | 名立駅発 | 1850 | 2033 | 0849 | ↓ | |
346.5 | 有間川駅発 | 1857 | 2040 | 0856 | ↓ | |
349.8 | 谷浜駅発 | 1903 | 2046 | 0901 | ↓ | |
352.2 | 郷津駅発 | 1912 | 2051 | 0906 | ↓ | |
356.7 | 直江津駅着 | 洗弁電 | 1919 | 2058 | 0914 | 0552 |
… | 直江津駅発 | 1959 | 2131 | 0928 | 0602 | |
… | 長野駅着 | 2203 | II | II | II | |
… | 柏崎駅着 | 洗 | … | 2229 | 1033 | 0641 |
… | 柏崎駅発 | … | 2232 | 1038 | 0642 | |
… | 長岡駅着 | 洗弁電 | … | 2330 | 1138 | 0725 |
… | 長岡駅発 | … | … | 1200 | 0734 | |
… | 新津駅着 | 洗弁 | … | … | 1339 | 0829 |
新津発 | 列車番号 | 833 | ↓ | ↓ | ||
0.0 | 新津駅発 | … | 0525 | 1351 | 0832 | |
… | 新潟駅着 | 赤洗弁電 | … | II | 1412 | 0848 |
… | 新潟駅発 | … | II | … | 0907 | |
39.1 | 中条駅発 | 0626 | 0956 | |||
48.0 | 坂町駅着 | 洗弁電 | 0639 | 1008 | ||
… | 坂町駅発 | 0654 | 1011 | |||
59.4 | 村上駅発 | 0717 | 1027 | |||
139.4 | 鶴岡駅発 | 弁 | 0934 | 1201 | ||
166.9 | 酒田駅着 | +洗弁電 | 1028 | 1230 | ||
… | 酒田駅発 | 1036 | 1240 | |||
228.9 | 羽後本荘駅着 | 赤弁電 | 1208 | 1345 | ||
… | 羽後本荘駅発 | 1211 | 1346 | |||
271.7 | 秋田駅着 | +赤洗弁電 | 1317 | 1429 | ||
… | 秋田駅発 | 1333 | 1439 | |||
… | 東能代駅着 | 弁電 | 1503 | 1544 | ||
… | 東能代駅発 | 1513 | 1546 | |||
… | 大館駅着 | 赤弁電 | 1624 | 1641 | ||
… | 大館駅発 | 1700 | 1646 | |||
… | 弘前駅着 | 赤弁電 | 1839 | 1751 | ||
… | 弘前駅発 | 1852 | 1753 | |||
… | 青森駅着 | … | 2000 | … | 1832 |
廃止区間[編集]
名称(駅・信号場などの別含む)は廃止時点のもの。( )内は起点からの営業キロ。
- 貨物支線(1943年廃止)
- 敦賀港駅 (0.0 km) - 敦賀新港駅 (1.2 km)
- 貨物支線(1986年廃止)
- 東富山駅 (0.0 km) - 富山操車場 (3.8 km) - 蓮町駅 (8.5 km)
- ※東富山 - 富山操車場間は本線との重複区間。
- 貨物支線(2019年廃止、通称:敦賀港線)
- 敦賀駅 (0.0 km) - (貨)敦賀港駅 (2.7 km)
- ※廃止時点では日本貨物鉄道の管轄。単線、非電化、タブレット閉塞式。両駅とも福井県敦賀市に所在した。2009年4月1日からは運行休止となり、踏切はアスファルトで埋め立てられたうえに、線路上には柵が設けられていた。運行休止に伴い敦賀港駅に併設された敦賀港新営業所(旧・敦賀港オフレールステーション)については、かつてのコンテナセンターに準じた扱いとして引き続き存続する。
新線付け替え区間[編集]
- 木ノ本 - 敦賀間(新線開業後、柳ヶ瀬線の線名となるも、1964年に廃止)(北半分は福井県道・滋賀県道140号敦賀柳ヶ瀬線に転用)
- 敦賀 - 今庄間(北陸トンネル開業により1962年廃止、通称:杉津線もしくは山中線)(福井県道207号今庄杉津線に転用。)
- 敦賀駅 (0.0 km) - 深山信号場 (2.3 km) - 新保駅 (5.9 km) - 葉原信号場 (9.3 km) - 杉津駅 (12.9 km) - 山中信号場 (17.8 km) - 大桐駅 (21.1 km) - 今庄駅 (26.4 km)
詳細は「沿線状況」を参照
- 今庄駅 - 湯尾駅
- 牛ノ谷駅 - 熊坂信号場 - 大聖寺駅
- 倶利伽羅駅 - 安楽寺信号場 - 石動駅(国道8号に転用。)
- 市振駅 - 風波信号場 - 親不知駅 - 黒岩信号場 - 青海駅
- 浦本駅 - 木浦信号場 - 能生駅 - 百川信号場 - 筒石駅 - 西名立信号場 - 名立駅 - 有間川駅
- 有間川駅 - 谷浜駅
- 谷浜駅 - 郷津駅 - 直江津駅(国道8号に転用。)
廃駅[編集]
#廃止区間にある駅を除く。括弧内は米原駅起点の営業キロ。
- 法性寺駅 : 1940年廃止 (2.6 km)
- 田村駅(初代) : 1940年廃止 (4.6 km)
- 大寺駅 : 1886年廃止(約13.3 km)
- 河毛駅(初代) : 1886年廃止(約15.8 km)
- 井ノ口駅 : 1897年廃止・高月 - 木ノ本間(約19.7 km)
- 北福井仮乗降場 : 1951年廃止・福井 - 森田間(約100.3 km)
- 越前下関駅 : 1940年廃止・丸岡 - 芦原温泉間 (114.9 km) - 三国線直通ガソリンカー専用駅。1938年6月に開業[1]。
- 浜黒崎仮停車場 : 1948年廃止・東富山 - 水橋間 (245.3 km)
- 郷津駅 : 1969年廃止・谷浜 - 直江津間(谷浜から2.4 km、直江津まで4.5 km)
廃止信号場[編集]
#廃止区間にある信号場を除く。括弧内は米原駅起点の営業キロ。
- 沓掛信号場 : 1966年廃止・近江塩津駅 - 新疋田駅間(約33.5 km)- 跡地は現在では近江塩津駅に吸収されている。
- 鳩原信号場 : 1963年廃止・新疋田駅 - 敦賀駅間(約44.7 km)
- 九頭竜仮信号場 : 1949年廃止・福井駅 - 森田駅間(約101.3 km)
- 熊坂信号場 : 1963年廃止・牛ノ谷駅 - 大聖寺駅間 (127.2 km)
- 松梨信号場 : 1963年廃止・明峰駅付近 (151.5 km)
- 花園信号場 : 1938年廃止・森本駅 - 津幡駅間 (185.1 km)
- 安楽寺信号場 : 1962年廃止・倶利伽羅駅 - 石動駅間(約199.1 km)
- 千保川信号場 : 1965年廃止・西高岡駅 - 高岡駅間 (214.8 km)
- 田刈屋信号場 : 1956年廃止・呉羽駅 - 富山駅間 (234.7 km、高山本線 西富山駅 - 富山駅間、岐阜起点224.4 km)
- 上市川信号場 : 1966年廃止・水橋駅 - 滑川駅間 (250.6 km)
- 角川信号場 : 1968年廃止・東滑川駅 - 魚津駅間 (258.9 km)
- 片貝信号場 : 1969年廃止・魚津駅 - 黒部駅間(約276.0 km)
- 小川信号場 : 1967年廃止・入善駅 - 泊駅間 (282.6 km)
- 風波信号場 : 1966年廃止・市振駅 - 親不知駅間(市振駅から5.9 km、親不知駅まで2.5 km)
- 黒岩信号場 : 1966年廃止・親不知駅 - 青海駅間(親不知駅から4.2 km、青海駅まで1.1 km)
- 姫川信号場 : 1968年廃止・青海駅 - 糸魚川駅間(青海駅から3.2 km、糸魚川駅まで3.5 km)
- 木浦信号場 : 1969年廃止・浦本駅 - 能生駅間(浦本駅から4.1 km、能生駅まで1.5 km)
- 百川信号場 : 1969年廃止・能生駅 - 筒石駅間(能生駅から4.3 km、筒石駅まで2.1 km)
- 西名立信号場 : 1969年廃止・筒石駅 - 名立駅間(筒石駅から4.1 km、名立駅まで2.5 km)
過去の接続路線[編集]
- 武生駅:福井鉄道南越線…社武生駅
- 鯖江駅:福井鉄道鯖浦線
- 丸岡駅:京福電気鉄道丸岡線
- 金津駅(現在の芦原温泉駅):三国線・京福電気鉄道永平寺線
- 大聖寺駅:北陸鉄道山中線
- 動橋駅:
- 粟津駅:北陸鉄道粟津線…新粟津駅
- 小松駅:
- 寺井駅(現在の能美根上駅):北陸鉄道能美線…新寺井駅
- 松任駅:北陸鉄道松金線
- 金沢駅:
- 東金沢駅:北陸鉄道金沢市内線…東金沢駅前停留場
- 石動駅:加越能鉄道加越線
- 富山駅:富山港線
- 黒部駅:富山地方鉄道黒部支線・富山電気鉄道石田線
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 『時刻表復刻版1968年10月号』JTBパブリッシング2021年11月1日発行。
外部サイト[編集]
脚注[編集]
- 注
- ↑ 東海道新幹線は、当初は三重県経由で名古屋 - 京都間を短絡する計画だったが、1964年東京オリンピックに間に合わないことから断念した。
- 出典
- ↑ 「思い出アルバムガソリン列車専用駅」2004年6月20日福井新聞。みくに龍翔館 坂井の鉄道博覧会 目録。