氷見線の歴史
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氷見線の歴史(ひみせんのれきし)とは、中越鉄道、日本国有鉄道によって建設、改良された氷見線の歴史である。
概要[編集]
富山県で最初に開業した中越鉄道の目的は、砺波平野で収穫された米を伏木港から全国に出荷するためである。江戸時代から伏木町は北前船の寄港など内航海運で栄えた港町であり、銀行や商社、保険会社、証券会社が開業し、栄えていた。伏木駅までの開業後、日露戦争で人員や物資の輸送により莫大な収益を上げ、氷見駅への延伸が実現したが、その先への氷羽線の建設には至らなかった。高岡駅を起点に氷見駅を結ぶ。沿線に高等学校が多いので通学客の利用が圧倒的に多いが、通勤客や行楽客の姿も多い。氷見駅から石川県羽咋市の南羽咋駅へ路線を伸ばす氷羽線の計画があったが、工事が凍結された。
ダイヤ史[編集]
- 昭和39年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正
- 旅客列車は毎時1本ほど運転され、多くは気動車、一部が客車列車であった。ほぼ各駅停車であったが、越中国分駅に限り客車の大半と気動車の一部が通過していた。
- 昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正
- 旅客列車は22往復運転され、そのうち3往復はオハユニ61が連結された客車列車であった。最新鋭の国鉄キハ45系気動車が配備された。この客車列車は越中国分駅を通過していた。この体制は1985年3月14日改正まで続いた。
過去の使用車両[編集]
沿革[編集]
- 1900年12月29日:中越鉄道によって高岡駅-伏木駅が開業。
- 1912年4月4日:伏木駅-島尾駅開業。
- 1912年9月19日:島尾駅-氷見駅開業により全通。
- 1920年9月1日:国有化。伏木駅を境に北を氷見軽便線に、南を中越線とする。
- 1942年8月1日:高岡駅-氷見駅を氷見線に、高岡駅-城端駅を城端線とする。
- 1978年、伏木駅-氷見駅の貨物営業廃止。
- 1985年3月14日、全列車気動車に置き換えられる。客車列車廃止。
- 1987年4月1日、国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道、日本貨物鉄道の路線となる。
- 2020年1月29日、JR西日本が当路線と城端線のLRT化を沿線自治体に提案する。
- 2020年6月8日、第1回LRT化検討会が自治体により開催される。
- 2023年3月30日、第6回LRT化検討会が開催され、LRT化計画が頓挫する。
- ~2033年、あいの風とやま鉄道に移管される予定。