長浜直流化
長浜直流化 (ながはまちょくりゅうか)とは、西日本旅客鉄道が北陸本線米原駅[注 1]と長浜駅の間の鉄道の電化を直流電化にしたことである。長浜以北の直流化は敦賀直流化を参照。
概要[編集]
1991年9月1日のダイヤ改正で直流電化による長浜駅への京阪神地区からの直流電車の乗り入れが行われた。
これによって1982年の急行「ゆのくに」廃止以来途絶えた北陸本線長浜駅と京阪への昼行直通列車が復活し、長浜駅以南でも乗り換えなしで京阪神地区に直通でき、通勤、通学に利便性が高まると共に、京阪神地区から長浜市へ多くの観光客が来るようになった。
車両面・設備面での変化[編集]
北陸本線の一部の普通列車が長浜駅発着となったために交直両用電車の運用に余裕ができ、北陸本線の一部列車と湖西線の近江今津以北で運用していた気動車運用はすべて電車化された。捻出した気動車は客車列車の置き換えに使用された。また、ホーム長が2両分しかなかった坂田駅、河毛駅について、前者は移転、後者はホーム長を延伸する工事を行い、両駅の通過列車がなくなった。
沿革[編集]
大正時代、政府は国内の石炭の埋蔵量と生産数量からあと50年で日本国内の石炭は掘り尽くされるであろうと計算した。このため、国内で最も石炭を消費している鉄道省に対策を求め石炭の節約に最も効果的な鉄道の電化が望ましいとし、全国の主要幹線の電化計画を発表した。この中には北陸本線も含まれていた。しかし、膨大な費用がかかるため、大都市圏と山岳区間のみに留まった。
戦後、地上側の変電コストが少なく地方路線に適した、商用周波数での交流電化が実用化された。北陸本線も1957年から田村以北で交流電化が適用され、田村で機関車交換を実施する様になった。これにより、田村は、普通列車すら一部が通過するローカル駅から機関車付け替えで優等列車も一部停車する駅に昇格した。なお、当時は、黒磯駅、作並駅[注 2]の構内で行われた地上切り替え方式が主流だったため、米原 - 田村間は当初非電化とされ、地上デットセクションの設置は1962年まで遅れた。
当時の日本国有鉄道も利用者も、鉄道の電化とは蒸気機関車を電気機関車に置き換えるといった認識で、普通客車列車の電車化は高崎線、東海道本線や山陽本線など一部であった。
1961年に地上デッドセクションを設けて電化した常磐線と北九州は普通列車に使用する近郊形の交直両用電車が新造された一方、北陸本線の客車普通列車は間合い運用を除いて電車化されず、蒸気機関車の時代そのままであった。米原方では僅かに気動車による普通列車の運用(一部は通勤・通学の利便を考え彦根駅に乗り入れ)が設定された。
なお、常磐線と北九州以外の線区では、特急形と急行形の交直両用電車が使用されたが、1975年3月のダイヤ改正で大阪発着の北陸直通の特急、急行の大半が湖西線経由になると長浜駅停車の昼行の特急、急行は米原、名古屋発着が中心となり、京阪に直通する急行はダイヤ改正毎に減らされた。
1960年代後半以降、日本の新規電化は交流電化の方が多かったが、1970年代になると直流電化が見直され、1978年に紀勢本線西部が直流電化になると、再び直流の新規電化が増加し、北陸本線は、近畿の滋賀県で孤立電化状態になった。1982年には急行「ゆのくに」が廃止され長浜と京阪を直通する昼行列車は一旦消滅した。普通列車の電車化がほぼ完了した昭和60年3月14日日本国有鉄道ダイヤ改正でも、北陸本線では、交直を挟んだ区間の気動車普通列車の設定は変わらなかった。
昭和61年11月1日日本国有鉄道ダイヤ改正で新快速が彦根駅まで延長されて京阪神地区からの移動が便利になると長浜市でも新快速の延長を求める考え方が広まった。障害となるのがデッドセクションの位置だが、ならば長浜駅の北方にデッドセクションを移して、直流電化を延長しようという動きとなった。人口増加による行政の市税徴収効果や地価高騰を目論む不動産業界など呉越同舟の動きで西日本旅客鉄道に長浜駅までの直流電化を働きかけた。西日本旅客鉄道は費用の負担を条件にこれを決定した。
影響[編集]
長浜直流化は長浜市の予想以上の効果を上げた。前述のとおり、京阪地区への通勤通学に利便性が高まり、特に大学によっては下宿をしなくてもよい通学圏にもなった。また、京阪神地区からの観光客が増加した。これを見た長浜駅以北の自治体[注 3]も二匹目のドジョウを得ようと北陸本線の直流電化の延伸や琵琶湖一周直流化を望んだ。この頃からこの地域の北陸本線沿線には「湖北の願いは直流化・新快速を湖北に」と書かれた看板が立てられた。
結果、2006年に湖西線共々、敦賀駅まで直流区間が延伸した。
一方で、糸魚川付近でも、国鉄時代からの押上付近への新駅設置との兼ね合いで、EF70電気機関車運用の名残りとも言えるデッドセクションの移設を行うべきという声があったが、並行在来線三セク移管前という「絶好の三匹目のドジョウ」とも言えた機会を逸し、えちごトキめき鉄道に移管された2015年以降、糸魚川付近の普通列車の運用は、梶屋敷以東の直流区間を含めて気動車化された。なお、新駅自体はえちご押上ひすい海岸駅として2021年に開業し、2023年現在でもコストの面から交直デッドセクションの糸魚川以西への移設は絶望的となっている。