華族
華族(かぞく)とは、明治時代から戦後に廃止されるまで存在した日本の皇族と士族、平民の間にあった身分である。
華族の発祥[編集]
1869年7月25日、今までの公卿・大名等諸侯の家を華族という名称にすることが決定される。
その後、1884年7月7日に華族令が制定されて本格的な華族制度がスタートした。
旧琉球王朝家もこの華族制度に組み入れられたが、日韓併合後の旧大韓帝国の宗家は、王公族として、華族とは別枠となった。
爵位[編集]
公・候・伯・子・男の5階級に分かれた。
由来[編集]
元々、華族とは平安時代に成立した摂家に次ぐ第二位の家格『清華家』の別称で、平安時代の終わりまで家柄のよい貴族などをさしていた。なぜ、華族の名称になったのかは実ははっきりしていない。華族制度を作るにあたっては伊藤博文、広沢真臣、大久保利通、副島種臣、岩倉具視がそれぞれ討議をしたとされているが、その中には華族という名称はなかった。最終的に『貴族』と『名族』が候補になっているが、何故か華族という名称に決定されており、謎が多い。
華族の役割[編集]
華族は皇室の藩屏としての役割を担うために設立された。そのために、華族の家系のものは学習院に入学して教育を受け、貴族院議員として国に貢献することが求められた。しかし華族といっても出自が多様であったため、基本的には軍隊で活躍することが求められていたものの、思惑通りにはいかなかった。時間やお金があったために学術や芸術といった分野で活躍した華族も多い。
明治元勲や旧華族だけでなく、臣籍降下した皇族が叙爵する事例もあった。
華族の終焉[編集]
華族制度は1947年5月3日、日本国憲法の施行[注 1]とともに廃止された。民主化勢力全会一致による華族制度の廃止で、昭和天皇の堂上華族(旧摂家・清華家)残存の意向が反映されないかたちだった。華族制度の廃止までに存在した華族数は、数え方などで多少異なるものの、1011家前後であった。
旧華族は親睦団体として霞会館を結成し、旧華族会館から改名した霞会館を運営している。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
脚注[編集]
- 注
- ↑ 日本国憲法第14条の『華族その他の貴族の制度は、これを認めない。』が根拠となっている。