北陸地方
北陸地方(ほくりくちほう)とは、日本の地方区分の1つである。 中部地方の一部とされ、中部地方のうち、日本海に接する地域である。
名称[編集]
古代律令制のもとでは、京都から各地方へ道路が整備された。このうち京都からみて北側にある陸の道路という意味で、北陸道と名付けられた。その北陸道沿線の地方から北陸地方と名付けられた。
概要[編集]
富山県・石川県・福井県の3県(北陸3県)を指すことが多い。
関東地方か東北地方か北陸地方か微妙な新潟県も北陸地方に含めることもある。確かに日本海側という意味で、古来より新潟県は北陸道に含まれていたが、往来至難な親不知・子不知があるため、室町時代以降は関東・東北色が強くなっている。
東海地方[注 1]と併せて東海北陸と呼ばれるれることや、衆議院選挙やスポーツ等で新潟、長野両県と併せて北信越地方[注 2]とされることが多い。
北陸地方最大の都市は石川県金沢市である。富山・石川両県と福井県嶺南は海側が発展していて、富山・石川両県の県庁所在地も海に近いが、富山・金沢とも中心部はやや海から離れており、金石や岩瀬浜といった町がこれらの都市の外港として賑わった。福井県嶺北は内陸の平野や盆地が主に発展していて、九頭竜川河口の三国が外港の役割を果たしていた。
気候[編集]
日本海側気候である。冬は降雪量が多く、気温も太平洋側よりやや低い。夏は太平洋側と同様に気温が高く、フェーン現象も起きる。
官公署[編集]
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行政[編集]
金沢市本署の官公署は北陸3県管轄
- 金沢市本署
- 北陸財務局
- 北陸総合通信局
- 北陸農政局
- 金沢国税局
- 新潟市本署
- 名古屋市本署
- 中部運輸局(福井県のみ)
- 大阪市本署
- 近畿地方整備局(福井県のみ)
司法[編集]
地裁・家裁とも名古屋高等裁判所管轄下である。知的財産権関連等は東京地裁管轄となり、福井県で地理的に近い大阪地方裁判所を使えない。
交通[編集]
大動脈[編集]
道路だと国道8号と北陸自動車道、鉄道だと北陸本線と経営分離された元北陸本線の三セク群・現在は金沢駅を経て敦賀駅までだが、若狭新駅を経て新大阪駅まで延伸予定の北陸新幹線。
縦貫動脈[編集]
富山県で合流する国道41号、東海北陸自動車道といった道路や鉄道の高山本線がある一方、鉄道の越美線は未成に終わった。
地方民鉄[編集]
港湾[編集]
歴史[編集]
古代には、越の国が北陸一帯を支配していた。後に大和政権の勢力が及び、越の国は越前、越中、越後などに分割された。
室町時代中期は、越前は斯波氏、加賀は富樫氏、能登・越中は畠山氏が守護大名となったが、加賀は一揆で一向門徒支配となった。
戦国時代には国単位で各勢力が乱立するが、越前の朝倉義景が滅んだ後、最終的には織田信長と上杉謙信の勢力争いの場となる。織田方は、柴田勝家が主に北陸進出を担い、柴田勝家の他、佐久間盛政、前田利家、佐々成政、丹羽長秀といった柴田派の武将が北陸各国の領主となって、旧守護家傘下の小領主はこれらの武将に服属した。
その後、本能寺の変や賤ケ岳の戦いを経て豊臣秀吉が実権を握るにつれ、柴田系の武将は殆どが戦死、または切腹に追い込まれた。豊臣政権中期になると長秀の嫡男の丹羽長重、前田利家が生き残ったが、関ヶ原の戦い後、丹羽家は零落し、前田利家が加賀・能登・越中を支配する大大名となる。江戸時代は前田家が百万石を有する最大の大名となり、藩の中心である金沢は、江戸・京都・大坂に次ぐ日本第四の大都市として繁栄した。また、越前は越前松平氏の所領となるが、家光期以降は複数領主となった。
明治初期の一時期、加越能と越前(敦賀を除く)が新潟県規模の面積の「大石川県」となったが、西南戦争以降、旧金沢藩が石川県・富山県、越前松平氏の旧福井藩が福井県の母体となって分割された。同時に滋賀県域だった嶺南は福井県域となって、現在に至る。
ライフライン[編集]
- 電力送配電
- 都市ガス
その他[編集]
- 「北陸新聞」は過去に題号があったが、現在は中日新聞社の傘下の「北陸中日新聞」となっている。