播磨国
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播磨国(はりまのくに)は、古代から中世にかけて存在した日本の行政区分。令制国としては山陽道に所属した。異称の播州で知られる。
概要[編集]
現在の兵庫県を中心とする地域に位置していた。播磨国は、古代から中世にかけて、山岳地帯や海岸部など多様な地形を有し、農業や漁業などの産業が盛んで、延喜式においては最高ランクの『上国』であった。
播磨国は古代から中世にかけて、畿内や近隣の国々との交流が盛んであり、文化や技術の発展にも貢献した。畿内文化や仏教文化の影響を受けながら独自の文化を築いていった。
大化の改新以前に存在していた針間国(播磨中・西部)・明石国(東播磨・神明・三木地域(明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡))・針間鴨国(北部(賀茂郡・多可郡))が大化の改新以降に合併されて誕生した。国府は現在の姫路市、国分寺は現在の姫路市御国野町国分寺に置かれた。国一宮は伊和神社(宍粟市一宮町)。
江戸末期の国域はざっくり言うと、現在の兵庫県の南西部から南中部まで。
明治以降[編集]
明治の廃藩置県以降、但馬国、淡路国および摂津国の一部、丹波国の一部を併合して、現在の兵庫県の大枠が成立した。
現在の兵庫県には、古代から中世にかけて栄えた播磨国の歴史や文化が今も息づいている。播磨地域の名残りとして、播磨町が地名として残っている。
また兵庫県庁の地方分局である県民局の名称や県立高校の学区の通称などでも残っており、旧播磨国域は現神戸市域および現朝来市域以外は以下に区分することがある。
- 4分区分(県民局)
- 東播磨 - 明石、加古川、高砂各市および加古郡
- 北播磨- 小野、三木、加東、西脇、加西各市および多可町
- 中播磨 - 姫路市、神崎郡
- 西播磨[注 1] - たつの、宍粟、相生、赤穂各市および佐用町、上郡町、太子町
脚注[編集]
- 注