1441年
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1441年(せんよんひゃくよんじゅういちねん)は、1400年代の41年目のことであり、日本の元号では永享13年であったが2月17日(3月10日)に改元が行なわれて嘉吉元年となる。日本の天皇は後花園天皇である。室町幕府の征夷大将軍は第6代将軍・足利義教であるが、6月に赤松満祐に殺害されて空位となった。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 少弐嘉頼が対馬国で死去し、弟の少弐教頼が跡を継ぐ。
- 3月 - 足利義教の圧力に屈した島津忠国(貴久)が日向国永徳寺を包囲して大覚寺義昭を自殺させる(37歳)。
- 4月 - 足利義教が島津忠国の功績を評価して琉球王国の加増を認める。結城城が落城して結城氏朝が自殺する(40歳)。足利春王丸・足利安王丸・足利永寿王(後の足利成氏)が幕府軍に捕らえられる。
- 5月 - 足利義教の命令により美濃国垂井で足利春王丸・足利安王丸が処刑される。京都で洪水が起こり、四条・五条の橋が崩落する。
- 6月 - 赤松満祐が将軍・足利義教を自邸に招いて謀殺する(48歳。嘉吉の乱)。満祐は播磨国に逃走する。東寺領の民と朱雀の民が灌漑をめぐって争う。
- 7月 - 嘉吉の乱に巻き込まれて重傷を負っていた大内持世が死去(49歳)。山名持豊が京都で略奪を行なう。
- 8月 - 幕府軍が大挙して赤松氏の領地に攻め込む。
- 9月 - 赤松満祐が幕府軍に追い詰められて自殺する(69歳)。叔英宗播が死去。土一揆の要求により徳政が行なわれる。
- 閏9月 - 徳政条目を定める。
- 月不明 - 徳政論が著される。