東寺

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五重塔

東寺(とうじ)は、京都府京都市にある教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。

歴史[編集]

794年、桓武天皇によって平安京が遷都されたときに西寺とならんで建立が認められた二つの寺院のうちの一つ。桓武天皇により羅城門をはさむ形でこれらは建立された。桓武天皇の次に天皇に即位した嵯峨天皇から唐で密教を学んだ空海に託されることでここに真言宗根本道場が誕生した。やがて、源平合戦の影響などで平安時代も終わりが近づき東寺は衰退したが、1233年運慶康勝によって修復され、また後白河法皇皇女たる宣陽門院によって財政の基盤が作られたため息を吹き返した。同時に、西寺は完全に焼失したので東寺は現存する唯一の平安京の遺構となった。1486年に文明の土一揆の影響で多くを焼失するも約100年後に再建されほぼ元通りになった東寺は1944年、「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録され現在に至る。

境内の施設[編集]

東寺に入って正面にあるのが金堂。東寺の中心堂宇かつ国宝でもある。諸堂塔のうち最も早く建築がはじめられた。日光菩薩が安置されている。現在の建物は1603年に豊臣秀頼の寄進のもと再建された。

金堂の背後()にあるのが重要文化財たる講堂。東寺の中心に位置する建物であり、密教の教えを現している。

境内の北寄りに建つのが食堂。こう書いて「じきどう」と読む。食事をとるためではなく、僧が修行を見出すために使用された。過去に地震と火災でそれぞれ一度ずつ崩壊していて、現在のものは1934年に再建されたものである。千手観音菩薩がいたことから、観音堂とも。

国宝たる五重塔は東寺のみならず京都のシンボルといっても過言でないほど有名。54.8メートルもあるその高さは木造塔として日本一の大きさを誇る。空海により建設が開始されたが、完成したのは空海没後の9世紀末になってからである。過去に4回焼失しており、現在のそれは1644年に江戸幕府第3代目将軍の徳川家光の寄進により再建されたものである。空海によって唐からもたらされた仏舎利を納めている。

境内北西部の両院と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂は御影堂である。空海が住んでいた場所であり、現在でも当時と同じように毎朝6時から一の膳、二の膳、を供える生身供が始まる。

東寺における美術[編集]

前述の講堂内には15点の国宝と5点の重要文化財たる仏像が安置されている。

中央には悟りの最終段階に達した仏、五智如来(大日如来、阿シュク如来、阿弥陀如来、宝生如来、不空成就如来)が置かれ、それぞれ重要文化財に指定されている。なお、国宝でないのは後補されたためである。五智如来の右側に配置されているのが五智如来の化身した慈悲の姿、五菩薩(金剛波羅密菩薩、金剛薩夕菩薩、金剛法菩薩、金剛宝菩薩、金剛業菩薩)である。五智如来の左側には荒々しい姿で忿怒の形相を持った五大明王(不動明王、降三世明王、大威徳明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王)が並ぶ。金剛の四方では密教世界を守る四天王(持国天、広目天、増長天、多聞天)が睨みを利かせ、インド古来の、梵天、帝釈天と合わせて6体が天部を構成している。

関連項目[編集]