1467年
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1467年(せんよんひゃくろくじゅうなな(しち)ねん)は、1400年代の67年目のことであり、日本の元号では文正2年であったが3月5日(4月9日)に改元が行なわれて応仁元年となる。日本の天皇は後土御門天皇であり、室町幕府の征夷大将軍は第8代将軍・足利義政である。応仁の乱が始まった、すなわち戦国時代が始まった重要な年である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 畠山政長が管領職を罷免され、斯波義廉が管領に任命される。音阿弥元重が死去(70歳)。畠山政長と畠山義就が戦う。
- 4月 - 舟橋業忠が死去(59歳)。
- 5月 - 細川勝元・斯波義敏・畠山政長ら東軍と山名宗全・斯波義敏・畠山義就ら西軍による合戦が開始(応仁の乱)。京都が兵乱で連日火災に見舞われ、社寺や屋敷が焼け、戦死者が続出する。
- 6月 - 前関白の近衛房嗣が宇治に逃れる。京都の100余町、3万余宇を焼亡する。
- 8月 - 大内政弘が大軍を率いて上洛し、西軍に属する。後花園天皇後花園上皇と後土御門天皇が室町第に移る。足利義視が北畠氏の伊勢国に亡命する。
- 9月 - 西軍が室町仮御所を攻める。
- 10月 - 二条以北が悉く焼亡する。持弁が死去(93歳)。
- 11月 - 禅信が死去(68歳)。
- 月不明 - 上杉顕定の重臣・長尾景人が下野国足利学校を移建する。遣明使の天与清啓、さらに桂庵玄樹・雪舟らが随行留学する。僧侶の周鳳や一休宗純らが京都の戦乱を逃れて地方に赴く。