1430年
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1430年(せんよんひゃくさんじゅうねん)は、1400年代の30年目のことであり、日本の元号では永享2年である。日本の天皇は後花園天皇である。室町幕府の征夷大将軍は第6代将軍・足利義教である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 鎌倉の浄妙寺が焼ける。
- 2月 - 足利義教が足利持氏の討伐を計画するが、諸大名に諌止される。
- 3月 - 足利義教が醍醐寺の花を観覧する。
- 4月 - 小倉宮を伊勢国より迎えた上で北畠満雅の弟である顕雅を赦免する。後小松上皇が足利義教の三条第に御幸する。堯仁法親王が死去(68歳)。
- 6月 - 足利義教が北畠顕雅に伊勢国一志郡と飯高郡を与える。伏見宮貞成親王が大嘗会記録・神膳御記を後小松上皇に献上する。
- 8月 - 足利持氏が下野国那須城攻撃を計画したため、義教が越後国・駿河国・信濃国などに那須城救援を命じる。摂津国河上5関を筒井覚順に与える。暴風雨により太政官庁の諸門が倒壊する。
- 10月 - 足利義教が京都土倉に課する母・側室の用度を減少する。
- 11月 - 足利義教が小倉宮の皇子である教尊を猶子とする。大嘗会が行なわれる。
- 月不明 - 世阿弥の申楽談義が完成する。集慶・周文らが奈良達磨大師像を修理する。