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足利安王丸
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足利 安王丸(あしかが やすおうまる、永享元年(1429年) - 嘉吉元年5月16日[1](1441年6月5日))は、室町時代中期の人物。父は第4代鎌倉公方の足利持氏。兄弟に義久、春王丸、成氏、尊敒、成潤。
生涯[編集]
永享の乱で父の持氏と長兄の義久が自殺した際、安王丸は春王丸と共に下野日光に逃れた[1]。後に結城氏朝に迎えられて結城城に入り結城合戦に至るが、嘉吉元年(1441年)に結城城は足利義教が派遣した上杉清方率いる幕府軍により落城して春王丸は安王丸と共に捕らえられて京都に送還される[1]。その途上である美濃垂井の金蓮寺において春王丸と共に処刑された[1]。享年13[1]。
脚注[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c d e 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、P26