1438年
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1438年(せんよんひゃくさんじゅうはちねん)は、1400年代の38年目のことであり、日本の元号では永享10年である。日本の天皇は後花園天皇である。室町幕府の征夷大将軍は第6代将軍・足利義教である。
日本の出来事[編集]
- 4月 - 南英周宗が死去(76歳)。
- 5月 - 飢饉や疫病が流行して多数の死者が出る。
- 7月 - 大覚寺義昭が大和国天河で足利義教に対して反乱を起こす。
- 8月 - 足利義教が諸大名に対して鎌倉公方・足利持氏の追討を命じる(永享の乱)。関東管領の上杉憲実が足利持氏と対立して上野国へ出奔する。足利義教の命令で諸大名が大和国多武峯に拠る越智惟通を討伐し、惟通は逃亡する。一色義貫が越智惟通討伐の際に妙楽寺の堂舎・仏像などを焼く。飛鳥井雅世が新続古今和歌集四季部を撰進する(勅撰集の終了)。
- 9月 - 足利持氏討伐の幕府軍が足柄・箱根を突破して相模国に入る。
- 10月 - 鎌倉府留守居の三浦時高が足利持氏に叛いて幕府軍に降伏する。
- 11月 - 上杉憲実が足利持氏を捕縛して鎌倉永安寺に幽閉する。持氏の子・足利義久・足利春王丸・足利安王丸・足利永寿王(後の足利成氏)が出奔する。足利義教が六角大宮の非人風呂敷地の代わりに朝日因幡入道本宅地内の地子を本能寺に交付する。
- 月不明 - 法隆寺南大門、醍醐寺清竜堂拝殿が完成する。