足利春王丸
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足利 春王丸(あしかが はるおうまる、永享3年(1431年) - 嘉吉元年5月16日[1](1441年6月5日))は、室町時代中期の人物。父は第4代鎌倉公方の足利持氏で3男[2]。母は梁田満助の娘[2]。兄弟に義久、安王丸、成氏、尊敒、成潤。
生涯[編集]
永享の乱で父の持氏と長兄の義久が自殺した際、春王丸は安王丸と共に下野日光に逃れた[2]。後に結城氏朝に迎えられて結城城に入り結城合戦に至るが、嘉吉元年(1441年)に結城城は足利義教が派遣した上杉清方率いる幕府軍により落城して春王丸は安王丸と共に捕らえられて京都に送還される[1]。その途上である美濃垂井の金蓮寺において処刑された[1]。享年11[1]。悲しい最期である。