信濃国
概要[編集]
現在の長野県の大部分(ほんの僅か岐阜県)に相当する。
別称の信州(しんしゅう)と共に、現在も長野県人が使用し、地方新聞名、国立大学名や民放テレビ局名で定着している。
地理[編集]
周辺の令制国は以下の通り10ヶ国(10州)に接し、長野県歌「信濃の国」の歌詞にも折込まれている。
海に面していない内陸国である。大部分が千曲川(信濃川の信濃国内での名称)の上流・中流域に位置する。ただし、南部の伊那郡・諏訪郡は天竜川流域、木曽郡は木曽川流域となる。
西縁の飛騨山脈が越中国・飛騨国との境界で、南東縁の赤石山脈が甲斐国・駿河国との境界である。木曽山脈は県内の木曽郡と伊那郡の境界となっている。北東縁は関東山地で上野国との境界で、また日本海側(佐久郡)と太平洋側(諏訪郡)は八ヶ岳で区切られている。
歴史[編集]
平安時代末期に源義仲が出現し、天下を取ったが三日天下で終わった。
室町時代以降、小笠原氏が守護となったが、戦国時代になり没落、群雄割拠の地となった。そこに、甲斐国の武田信玄が信濃に勢力を伸ばし、村上義清攻略に苦労しながらも、1550年には大部分を傘下に収めた。一方、北端部は越後国の上杉謙信の傘下に入り、川中島で両者が何度も争うこととなる。その武田家も、1582年には織田信長に滅ぼされたが、その後すぐに本能寺の変が起き、織田信長も殺害される。
織田信長なき後、信濃国は天正壬午の乱を経て徳川家康の領地となった。しかしその後関東に移封され、信濃国は北部が上杉景勝の領地であった他は、信濃土着の真田昌幸、豊臣家臣の石川数正・康長などの小領主に分割された。
江戸時代は、真田氏が巧みに東信で存続し、木曽は尾張藩領として福島に代官所が置かれたが、基本的には徳川譜代の大名が配置され、小藩分立のままであった。
明治初期に北東信が長野県、中南信が飛騨と共に筑摩県に再編され、後に信濃国の単位で長野県に統一された。
なお、国域南西の木曽郡(西筑摩郡)神坂村と山口村が、昭和と平成の大合併の二度にかけて、岐阜県中津川市に併合している。
藩の一覧[編集]
信濃国に藩庁を置いた藩の一覧を示す。
- 飯山藩 - 本多氏(譜代)
- 須坂藩 - 堀氏(外様)
- 松代藩 - 真田氏(外様)。10万石、信濃最大の藩。
- 上田藩 - 松平氏(譜代)。5.3万石。
- 小諸藩 - 牧野氏(譜代)
- 岩村田藩 - 内藤氏(譜代)
- 田野口藩 - 松平氏(譜代)。1863年に三河国奥殿藩から移転
- 松本藩 - 松平氏(譜代)。6万石
- 諏訪藩 - 諏訪氏(譜代)
- 高遠藩 - 内藤氏(譜代)
- 飯田藩 - 堀氏(外様)
郡の一覧[編集]
- 高井郡 - 中野市中心の地域。他に、須坂市、上高井郡、下高井郡の全域、長野市、飯山市の一部。
- 水内郡 - 長野市中心の地域。他に、飯山市、上水内郡、下水内郡の大部分、中野市の一部。
- 更科郡 - 長野市の川中島地区や旧篠ノ井市中心の地域。他に、千曲市、坂城町の各一部。
- 埴科郡 - 千曲市中心の地域。他に、坂城町の大部分、長野市の一部。
- 小県郡 - 上田市中心の地域。他に、小県郡各町村、東御市の大部分。
- 佐久郡 - 佐久市中心の地域。他に、小諸市、北佐久郡、南佐久郡の全域、東御市の一部。
- 安曇郡 - 安曇野市中心の地域。他に、大町市、北安曇郡の全域、松本市の一部。
- 筑摩郡 - 松本市中心の地域。他に、塩尻市、東筑摩郡、木曽郡の全域、安曇野市、中津川市の一部。
- 諏訪郡 - 諏訪市中心の地域。他に、岡谷市、茅野市、諏訪郡各町村。
- 伊那郡 - 飯田市、伊那市中心の地域。他に、駒ヶ根市、上伊那郡、下伊那郡。