行基(ぎょうき)は、飛鳥時代・奈良時代の僧である。
668年、河内国(後の和泉国、現在の大阪市堺市。最寄駅は津久野駅)生まれ。百済からの渡来人の子孫と言われる。15歳で出家し、法相宗の僧となった。
8世紀になり、40歳を過ぎた頃から、仏教の普及活動と、寺院の建設や土木事業などの社会活動に力を入れる様になる。数多くの寺院を建立し、各地にため池や橋を建設した。当時は、布教活動を自由にできない時代であったので、行基の活動も国から弾圧を受けた。しかし、だんだん土木工事を重視する権力者に重用される様になっていき、特に聖武天皇は東大寺の建立のために行基を招聘した。
749年に入滅。
関わった事業[編集]
同世代の人物[編集]