名和武顕
ナビゲーションに移動
検索に移動
名和 武顕(なわ たけあき、? ‐ 天文15年6月12日(1546年7月9日))は、戦国時代の武将。名和氏の第20代当主にして宇土名和氏(名和系宇土氏)の2代。宇土城主。
略歴[編集]
父は名和顕忠。官位は従四位下。受領名は伯耆守。官途は弾正大弼。
兄に名和重年がいたが死去したため、永正14年(1517年)頃に父から家督を相続した。同年、肥後国の相良氏と和睦する。天文3年(1534年)から翌年にかけて相良氏と再度争うが和睦する。天文6年(1537年)に娘を相良晴広に嫁がせ、天文9年(1540年)に相良氏と連携して菊地義武に協力する。しかし、天文12年(1543年)には再度相良氏と争い、翌年に和睦する。
天文15年(1546年)6月11日、あるいは12日に死去した。法名は大仙紹果庵主。
家督は子の行興が継承した。