天応 (日本)

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天応(てんおう)は、日本元号の一つ。日本の17番目の元号。宝亀の後、延暦の前。西暦の781年から782年までの期間である。この時代の天皇は第49代天皇・光仁天皇、第50代天皇・桓武天皇。元号の使用期間は約1年8か月。天應とも書かれる。

概要[編集]

宝亀12年1月1日ユリウス暦781年1月30日)に天応元年と改元された。改元の理由は『続日本紀』天応元年正月辛酉朔条によると、伊勢斎宮に美雲が出現し、国家の鎮である神宮によりこれにえた祥瑞が出現したことは吉であるという祥瑞によるものとされている。なお、この改元は元日に行なわれた唯一の例であり、また従来の祥瑞改元とは異なり、具体的な事物ではなく嘉字・嘉語による改元であり、これは以後の祥瑞改元でも踏襲された。

天応の出典に関しては『周易』の「湯武革命順乎、而乎人。革之時大牟哉」、『瑞應図』の「勤労歴年救民之害、天應其徳則至」、『史記』『漢書』『後漢書』『宋書』『晋書』『北史』『新唐書』『文選』『群書治要』などにも「天」と「応」の組み合わせる例が見えるため、これらのいずれかの可能性がある。

天応の読みに関しては、「てんおう」のほか、「てんのう」(『年号読様』)、「てんわう」(『番鍛冶次第附録年代記』)、「てんわう」「てんなう」「てんおう」(『本朝年代歴』)など諸例がある。

祥瑞改元のため、日本全国を対象とした恩赦と内外の文武官に対する位一級の昇進、反乱を起こした兵士や徴兵者に対する免税措置なども行なわれている。

なお、改元の理由にこれは桓武天皇の即位を準備するためのもので、天応には「天命が革まる」の意味があるのではないかと推測されている。

天応2年8月19日(ユリウス暦782年9月30日)に延暦元年と改元された。

天応の主な出来事[編集]