明暦
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明暦(めいれき)とは、1655年4月13日(グレゴリオ暦1655年5月18日)から1658年7月23日(グレゴリオ暦1658年8月21日)までの元号である。この間の日本の天皇は後西天皇である。
概要[編集]
承応4年(1655年)4月13日に明暦元年と改元された。改元の理由は後西天皇の代始によるものである。明暦の出典は大学頭の菅原為庸の勘文にある「漢書(巻二一上)律暦志曰、大法九章、而五紀明歴法、続漢書曰、黄帝造歴、歴与暦同作」からとされる。江戸においてこの新元号は4月28日から公布されている。
明暦4年(1658年)7月23日に万治と改元された。
この時代には明暦3年(1657年)1月に江戸で明暦の大火と称される大火事が起こったことで有名である。『改元物語』では「明暦の二字日月また日をそへたり、光り過たるに由り、大火事ありなどと云ふ」と評された。なお、翌年に万治に改元されたのはこの明暦の大火が原因によるものである。