永承
ナビゲーションに移動
検索に移動
永承(えいしょう、えいじょう)は、日本の元号の一つ。寛徳の後、天喜の前。1046年から1053年までの期間を指す。この時代の天皇は第70代天皇・後冷泉天皇[1]。使用期間は6年8ヶ月と11日[1]。
改元[編集]
寛徳3年4月14日(ユリウス暦1046年5月22日・グレゴリオ暦1046年5月28日)に改元される。改元の理由は後冷泉天皇即位に伴う代始改元である[1][2]。永承の出典は『書経』の「永承天祚」または『晋書』巻21礼志の「宜下奉二宗廟一永承中天仍上」によるという[1]。勘申者は文章博士で左大弁の平定親[1]。この改元の際には他に「康平」「継天」「承統」などが候補として挙げられた[1]。
永承8年1月11日(ユリウス暦1053年2月2日・グレゴリオ暦1046年2月8日)に天喜と改元された[2]。
永承期の時代背景[編集]
この頃、中央から遠く離れた陸奥においては土着豪族である安倍氏が奥六郡(岩手県北上川流域の胆沢郡・江刺郡・和賀郡・稗貫郡・斯波郡・岩手郡)に城砦を築いて中央への貢納を拒否し、半独立国として割拠するようになっていたので、朝廷は陸奥守である藤原登任に安倍氏討伐を指令し、永承6年(1061年)から前九年の役が開始された。この合戦は奥州十二年合戦とも呼ばれるほど長期化したが、この戦いで源氏の源頼義や源義家らが大活躍し、源氏の武士としての勢力が関東や東北に拡大する契機にもなった[2]。