治承

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

治承(じしょう / ちしょう)は、日本元号の一つ。安元の後、養和の前。1177年から1183年までの期間を指す。この時代の天皇は第80代天皇の高倉天皇、第81代天皇の安徳天皇である。

概要[編集]

安元3年8月4日ユリウス暦1177年8月29日)に治承元年と改元される。改元の理由は火災によるものである。治承の出典は文章博士藤原光範の勘文によるもので、『河図挺作輔』の「治武明文徳、治承天精」である。

公的には治承5年7月14日(ユリウス暦1181年8月25日)をもって養和に改元されている。ただし、平氏政権に対して敵対し、関東で自立して一大政権を築き上げた源頼朝はこの治承の元号を以後も用いており(『吾妻鏡』)、少なくとも1183年まで同元号は源氏政権の勢力圏で使用されていた。

この年間は鹿ヶ谷の陰謀事件に始まり、以仁王の挙兵、福原京遷都、源頼朝・源義仲らの挙兵、それに伴う平氏政権の討伐軍の富士川の戦いにおける敗戦とさらなる反乱、そして高倉上皇の崩御と平氏政権の創設者である平清盛の死去と治承・寿永の乱と称される動乱期にふさわしい波乱の出来事が続いた時期にあたる。