飛鳥時代

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飛鳥時代とは、日本の時代区分である。

概要[編集]

6世紀から7世紀にかけて、日本に仏教が広まった時代を指す時代区分である。6世紀前半に、百済から日本に仏教がもたらされ、法隆寺など数多くの仏教建築が建てられた。当時の日本は親百済であったが、日本が百済の一部であったとする説もある。

期間[編集]

始まり[編集]

一般的には、聖徳太子が摂政となった593年、あるいはその前年。この頃より、皇居が飛鳥地域(現在の明日香村)でほぼ定着した。ただし、仏教が伝来した538年や552年とすることも可能である。

終わり[編集]

白鳳時代を飛鳥時代と別の時代とするか、飛鳥時代の一部とするかで変わる。前者の場合、大化の改新が行われた645年、壬申の乱が起こった672年が終わりである。後者の場合、飛鳥から藤原京に遷都した694年、平城京に遷都した710年などが飛鳥時代の終わりと言える。

推移[編集]

仏教伝来は、538年あるいは552年のこととされる。その後、仏教の普及を巡って、崇仏派の蘇我氏と、廃仏派の物部氏が対立。587年に物部氏は滅ぼされ、日本は仏教国としての道を歩むこととなった。

593年、推古天皇が即位、天皇の甥とされているが百済出身説もある聖徳太子厩戸皇子)が摂政となった。聖徳太子の元で、十七条の憲法冠位十二階などの先進的な制度が整えられた。また、遣隋使が二度にわたって派遣された。特に第一回、小野妹子を派遣した際は、日本の天皇が隋の皇帝と対等であるかの様な親書を渡したことで、隋の皇帝を激怒させた。

聖徳太子の時代が終わると、再び蘇我氏が権力を握るも、645年の乙巳の変で中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)に滅ぼされる。大化の改新と呼ばれる改革が行われ、公地公民制などが導入された。

660年に百済が滅亡。日本は百済復興を後押しし、新羅と対立するも、663年の白村江の戦いで敗北。新羅が朝鮮半島を統一していく中で、672年に壬申の乱が発生、天下は新羅派の天武天皇のものとなり、百済派の時代が終わった。

宮都[編集]

仏教伝来以来、奈良盆地を転々としていたが、593年より短距離の遷都はあったものの飛鳥川上流の飛鳥地域にほぼ定着した。ただし、大化の改新後は大阪の難波宮に一時的に遷都した他、白村江の戦いでは九州が宮都となり、その後壬申の乱までは近江国の大津京で都となった。

飛鳥時代の日本国外[編集]

中国では、581年にが建国され、中国を統一して南北朝時代が終了。遣隋使を通して日本とのかかわりもあった。618年に、隋はにとって代わった。

インドでは、550年頃にグプタ朝が滅亡。7世紀前半にはヴァルダナ朝がガンジス川流域を統一していたが、群雄割拠の時期が多かった。

イラク・イランでは、サーサーン朝ペルシャが広大な領土を持っていたが、急拡大したイスラム帝国によって651年に滅ぼされた。

脚注[編集]

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