弘和
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弘和(こうわ)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。天授の後、元中の前。1381年から1384年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が第98代天皇(南朝3代)の長慶天皇、第99代天皇(南朝4代)の後亀山天皇。北朝方が北朝5代の後円融天皇・北朝6代で第100代天皇の後小松天皇。室町幕府の征夷大将軍は第3代将軍・足利義満である。
概要[編集]
天授7年2月10日(ユリウス暦1381年3月6日)に弘和元年と改元されたとしている。ただ、この頃の南朝はすっかり衰退していて史料に欠くことが多いため、年月日が明らかではない。天授6年(1380年)6月以降から天授7年(1381年)6月以前に改元が行なわれたのは、『金剛寺文書』や『河合寺文書』に弘和元年(1381年)6月21日の長慶天皇綸旨が初見であることから、少なくともこの間になされたものという見解が一般的である。
弘和4年(1384年)に元中元年に改元された。ただし史料が乏しいことなどから月日などは明らかではなく、少なくとも11月5日以前に行なわれた改元とされている。