宝永

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宝永(ほうえい)は、日本元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1710年までの期間を指す。この時代の天皇東山天皇中御門天皇江戸幕府征夷大将軍は第5代将軍・徳川綱吉、第6代将軍・徳川家宣

概要[編集]

元禄17年3月13日グレゴリオ暦1704年4月16日)に宝永元年と改元された。改元の理由は元禄16年(1703年11月23日1703年12月31日)に関東で発生した元禄地震のためであり、これは江戸幕府側から朝廷に改元するように申し入れたという。宝永の出典は侍従菅原為範の勘文にある「唐書志(『旧唐書』巻三十、音楽志)云、祚惟、暉光日新」からである。

江戸に伝えられた後、諸大名には3月30日に披露されたという。

この時代は諸国で災害が相次いだ(宝永地震宝永大噴火など)。また江戸幕府の将軍・徳川綱吉が宝永6年(1709年)に死去して家宣に代替わりし、同じように朝廷でも東山天皇が慶仁親王(中御門天皇)に譲位して同年のうちに崩御している。

宝永8年4月25日(グレゴリオ暦1711年6月11日)に正徳に改元された。

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