正徳 (日本)
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正徳(しょうとく)は、日本の元号の一つ。宝永の後、享保の前。1711年から1716年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇。江戸幕府の征夷大将軍は第6代将軍・徳川家宣、第7代将軍・徳川家継である。
概要[編集]
宝永8年4月25日(グレゴリオ暦1711年6月11日)に正徳元年と改元される。理由は中御門天皇の代始のためである。正徳の出典は文章博士・菅原総長の勘文によると「尚書正義曰、正徳者自正其徳」からである。
正徳2年(1712年)に第6代将軍・徳川家宣が死去する。すると同年冬、江戸幕府の大学頭である林信篤が正徳の「正」の字を家宣没後に元号として使うのは不祥のことであるから改元するべきであると老中に対して意見書を提出する。これに対して当時、正徳の治と称される幕政改革を行なって幕府の実権を掌握していた新井白石は、天下の治乱、人寿の長短は元号の字によるものではないとして日本や中国の古今の元号の例を引き、同じ元号を使った先例にも祥・不祥があり、また元号の無い古代にも、さらに元号を使用すること自体が無い西洋にも天下の治乱、人寿の長短があることを述べ、改元のことは江戸時代以前は幕府側の理由によってないことを挙げて反対したという(『折たく柴の記』)。