文禄
ナビゲーションに移動
検索に移動
文禄(ぶんろく)とは、1592年12月8日(グレゴリオ暦1593年1月10日)から1596年10月27日(グレゴリオ暦1596年12月16日)までの元号である。この間の日本の天皇は後陽成天皇である。
概要[編集]
天正20年(1592年)12月8日に文禄元年と改元される。改元の理由は代始による。文禄の出典は権中納言・菅原盛長の勘文にある「杜氏通典禄秩巻、貞観二年制注日、凡京文武官、毎歳給禄」からである。
文禄5年(1596年)10月27日をもって慶長元年と改められた。
この年間は豊臣政権の主宰者である豊臣秀吉による朝鮮出兵、秀吉の命令による関白・豊臣秀次とその一族、並びに家臣から公家にまで連座が及んだ秀次事件が発生したりした。