寿永

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寿永(じゅえい)は、日本元号の一つ。養和の後、元暦の前。1182年から1185年までの期間を指す。この時代の天皇は第81代天皇の安徳天皇と第82代天皇の後鳥羽天皇1183年から両帝が並ぶ)。

概要[編集]

養和2年5月27日ユリウス暦1182年6月29日)に寿永元年と改元された。改元の理由は疾疫飢饉兵革・三合などである。寿永の出典は式部大輔藤原俊経の勘申によるもので、『詩経」「周頌・載見」の「率見昭考、以考以享、以介眉寿言保之、思皇多祐(率いて昭考に見え、以って考し以って享し、以って眉寿を介する。く言(ここ)にこれを保ち、思(ここ)に皇いに多祜あらん)」よりである。

なお、寿永2年(1183年7月源義仲上洛して来たため、平宗盛平氏一門は安徳天皇三種の神器を奉じて都落ちした。これにより京都では後白河法皇により新たな天皇として安徳天皇の異母弟が後鳥羽天皇として立てられ、日本には天皇が2人立つという異例の事態となる。なお、源義仲も没落して源頼朝が送り出した源範頼源義経兄弟によって京都は制圧され、その中で寿永3年4月16日(ユリウス暦1184年5月27日)に元暦元年と改元されたが、安徳天皇と三種の神器を奉じる平氏政権はこの改元を認めず、なおも寿永の元号を使い続けた。このため、公式には1184年をもって寿永は元暦と改元されているが、平氏政権によって寿永は1185年、すなわち寿永4年まで使用され続けることになった。