寛文
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寛文(かんぶん)とは、1661年4月25日(グレゴリオ暦1661年5月23日)から1673年9月21日(グレゴリオ暦1673年10月30日)までの元号である。この間の日本の天皇は後西天皇・霊元天皇である。
概要[編集]
万治4年(1661年)4月25日に寛文元年と改元された。改元の理由は万治4年1月15日に内裏が炎上したことである。寛文の出典は式部権大輔・菅原為庸の勘申によるもので、『荀子』致士編「節奏陵而文、生民寛而安、上文下安、功名之極也」とされる。
寛文13年(1673年)9月21日に延宝と改元された。
この時代は仙台藩で寛文事件と称される御家騒動が発生している。また寛文3年(1663年)1月26日に後西天皇の譲位により、識仁親王が霊元天皇として践祚し、4月27日に即位式を挙げている。