承応
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承応(じょうおう)とは、1652年9月18日(グレゴリオ暦1652年10月20日)から1655年4月13日(グレゴリオ暦1655年5月18日)までの元号である。この間の日本の天皇は後光明天皇・後西天皇である。
概要[編集]
慶安5年(1652年)9月18日に承応元年と改元された。改元の理由は前年に第3代将軍・徳川家光が死去し、嫡子の家綱が第4代将軍に就任した代替わりによるものである。
承応の出典は、文章博士・菅原知長の勘文にある「晋書律暦志曰、夏商承運、周氏応期」である。承応4年(1655年)4月13日に明暦元年と改元された。
この慶安から承応に元号が変わる間に、浪人の別木庄左衛門による承応の変と称される江戸幕府転覆計画が露見している。また、承応3年(1654年)に後光明天皇が崩御して、皇弟の識仁親王が後西天皇として即位している。