万治

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万治(まんじ)とは、1658年7月23日グレゴリオ暦1658年8月21日)から1661年4月25日(グレゴリオ暦1661年5月23日)までの元号である。この間の日本天皇後西天皇である。

概要[編集]

明暦4年(1658年)7月23日に万治元年と改元された。改元の理由は前年に江戸で発生した明暦の大火によるものである。万治の出典は文章博士菅原豊長の勘文にある「史記(巻二、夏本紀第二)曰、衆民乃定、国為」からとされる。

この元号は7月30日に江戸に伝えられ、8月1日公布された。

なお、この元号は朝廷により決められたものではなく、江戸幕府により決められたものであるという。林鷲峯の『改元物語』によると、幕府の重鎮である井伊直孝が出席した会議で朝廷側の勘文を参考に審議され、林春斎が『貞観政要』に「本固」とあることを挙げて、直孝がそれに賛意を示して決定したとされている。

万治4年(1661年)4月25日に寛文と改元された。

この時代は真田信之や井伊直孝など、戦国時代最後の生き残りともいえる戦国武将たちが死没した年間である。