養和
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養和(ようわ)は、日本の元号の一つ。治承の後、寿永の前。1181年から1183年までの期間を指す。この時代の天皇は第81代天皇の安徳天皇。
概要[編集]
治承5年7月14日(ユリウス暦1181年8月25日)に養和元年と改元される。改元の理由は安徳天皇の即位による代始である。養和の出典は文章博士・藤原敦周の勘申によるもので、『後漢書』「逸民伝・台唔」の「幸得保性命、存神養和」からとされている。
公的には養和2年5月27日(ユリウス暦1182年6月29日)をもって、寿永元年と改元された。しかし関東に一大政権を築いて平氏政権との対立を表明していた源頼朝はこの改元・元号を認めておらず、『吾妻鏡』養和2年2月8日条所収源頼朝願文の日付が「治承6年壬寅2月8日」と記録されている。このため、関東など源氏政権の支配圏では養和の元号が少なくとも1183年、すなわち寿永元年まで使われていたと見るべきである。
この時期は養和の大飢饉と称される大飢饉が全国的に発生し、特に西国の被害は甚大だった。これが平氏政権の衰退を助長したが、東国もその被害は大きく、一時的に源平合戦は休戦状態に陥った。