応永
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応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1428年までの期間を指す。この時代の天皇は第100代天皇(北朝最後の第6代天皇)である後小松天皇、第101代天皇・称光天皇。室町幕府の征夷大将軍は第3代将軍・足利義満、第4代将軍・足利義持、第5代将軍・足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。
概要[編集]
明徳5年7月5日(ユリウス暦1394年8月2日)、応永元年と改元される。改元の理由は疱瘡の流行によるものである。勘申者は参議・藤原重光である。応永の出典は『会要』の「久応称之、永有天下」からである。
応永35年4月27日(ユリウス暦1428年6月10日)に正長元年に改元された。
この時代は足利義満の下で室町幕府が全盛期を迎えた。強力な守護大名である大内義弘も応永6年(1399年)に義満に対して応永の乱を起こして敗死し、室町幕府の覇権は確固たるものとなった。しかし応永15年(1408年)に義満が死去すると室町幕府の衰退が始まる。再び有力な守護大名が台頭し、その中で上杉禅秀の乱なども起きるなど徐々に政情不安に陥ってゆく。いわゆる室町幕府の全盛期と退潮期が重なっている年間である。