貞治
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貞治(じょうじ)は、日本の元号の一つ。康安の後。応安の前である。1362年から1368年までの期間を指す。北朝で用いられた元号である。この時代の天皇は北朝の第4代天皇・後光厳天皇[1]。使用期間は北朝は5年と4ヶ月と25日[1]。
改元[編集]
康安2年9月23日(ユリウス暦1362年10月11日・グレゴリオ暦1362年10月19日)に改元される[1]。改元の理由は疫病・兵革・天変・地震などの災異によるものである[1]。貞治の出典は『易経』(象下)の「利武人之貞、志治也」からである。勘申者は左大弁の藤原忠光である[1]。
この時代は南北朝時代の戦乱が続いた時代である。改元の理由である地震や兵革などは、康安元年(1361年)6月24日に南海トラフ沿いで巨大地震、いわゆる康安地震が発生したことと、南朝軍の侵攻により室町幕府の第2代征夷大将軍である足利義詮が北朝の天皇・後光厳天皇を奉じて一時的に近江に逃亡したことなどが理由である[1]。
貞治7年(1368年)2月18日(ユリウス暦1368年3月7日・グレゴリオ暦1368年3月15日)に応安と改元された[1]。