康暦
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康暦(こうりゃく)は、日本の元号の一つ。永和の後、永徳の前。1379年から1381年までの期間を指す。この時代の天皇は北朝第5代天皇・後円融天皇である。使用期間は1年と11ヶ月と11日[1]。
改元[編集]
永和5年3月22日(ユリウス暦1379年4月9日・グレゴリオ暦1379年4月17日)に改元される[1]。改元の理由は天変・疾疫・兵革による災異のためである[1]。
康暦の出典は『旧唐書]]』の「承成康之暦業」からであり、勘申者は式部大輔・菅原長嗣である[1]。
この時代は康暦元年(1379年)閏4月14日(6月7日)に室町幕府の管領である細川頼之が前管領で越中の守護大名であった斯波義将の圧力により管領職を追われて追放される康暦の政変が起きている[1]。また鎌倉府では将軍職への野心を燃やして挙兵を計画していた鎌倉公方の足利氏満に対して関東管領・上杉憲春が諌死を遂げている[1]。
康暦3年(1381年)2月24日(ユリウス暦1381年3月20日・グレゴリオ暦1381年3月28日)に永徳元年と改元された[2]。