慶長
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慶長(けいちょう)とは、1596年10月27日(グレゴリオ暦1596年12月16日)から1615年7月13日(グレゴリオ暦1615年9月5日)までの元号である。この間の日本の天皇は後陽成天皇・後水尾天皇である。
概要[編集]
文禄5年(1596年)10月27日に慶長元年と改元される。改元の理由は天変地妖である。慶長の出典は文章博士・菅原為経の勘文にある「毛詩注疏曰、文王功徳深厚、故福慶延長也」からである。
慶長20年(1596年)7月13日をもって元和元年と改められた。
この年間は豊臣政権の主宰者である豊臣秀吉の死去とその嫡子・豊臣秀頼の継承、そしてその後の政変から発生した関ヶ原の戦いによる徳川家康率いる東軍の勝利により、豊臣政権が実効力を失って徳川政権が成立し、江戸幕府が開幕する。江戸幕府の下で大名統制や農民支配など様々な政策が実行に移され、征夷大将軍に就任した家康が在任2年で嫡子・徳川秀忠に将軍職を継承させて幕府の支配の絶対化を図ったりするなどした。政権を失った豊臣氏はなおも江戸幕府に対して抵抗するが大坂の陣において滅ぼされ、これにより戦国時代は終焉して元和偃武が成立した。